2011年05月31日

おもいで世界は養命酒

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母が入院することになり,退院後に快適な療養生活を送れるよう,実家の環境を整えるのに手を貸せと父から電話がかかってきた.

早い話が実家の物置部屋に送り込んだ私の引っ越し荷物(引っ越しの際に捨てることも新居に運ぶことも出来なかった思い出のガラクタたち.大学生の時の荷物.芝居で使った衣装やら恋人への恨み事をつらねた未投函の手紙など)を始末するようにと通達を受けたのである.

旦那を置き去りにひさびさに1人で帰省するやいなや,開かずの扉を開けるはめになるが,まずは一杯麦茶飲み.

蜘蛛の巣と綿埃,じとじと湿った黴の匂いのただ中に、特大段ボールに10箱強.
さらに,海外旅行用に購入したトランクにもパンパンに荷物が詰め込まれて放置されているのを私は見た.
実家と若さに甘えての遠距離不法投棄的暴挙のなれの果てを三十すぎて間の当たりにするとは天罰か.

1つ,2つと箱を開けるうちに,端からメラミを唱えて燃やしてしまいたくなるいろいろな記憶.
そして,東京のマンションに持って帰るほどではないが,やはり捨てられない青春時代の遺品.
大学の講義のノートにはじまり,学生運動の片棒をかついでいたころのヘルメットやビラの原版.もはやあらすじさえも思い出せないフランス映画のパンフレット.「眺めるだけで痩せられる」というコピーのついた,怪しい催眠術師による謎のダイエット絵本.
「マジックを仕事にする」「美容師になるには」と題された職業案内本の数々.
あの頃,いったい私は毎日何を考えて生きていたんだろうか.
ほんの数年前のことなのにさっぱり思い出せない.
掘り出した品々をよりわけながら,自分のしてきたことが他人事のようにどこか理解の範疇をはみ出していく.

そのうち,実家で過ごしていた子供時代の写真やノート類なども部屋の隅から出てきた.
適当に漁っているうちに,ふと一枚の写真を手に取る.
そこには大胆に手脚やお腹を露出した少女の姿が.
何かいけない写真かと思ったら,それは自作のコスプレ衣装を身にまとった小学4年生の私自身であった.
コスプレのテーマは「不思議の海のナディア」.
写真を見ているうちに記憶が甦ってくる.
この写真を撮影した日は自転車で奔走したあげく,なけなしの小遣いをはたいて近所の駄菓子でブルーウォーターらしき首飾りを買い求めたのだ.
さらに,一冊の同人誌が段ボールから出てくる.
また忘れていた過去を思い出した.
雑誌投稿が縁で知り合ったゲーム同人の同人誌に参加した小学6年の秋.
その当時の自分のイラストが載った雑誌の切り抜きファイルを発見する.
歴史を塗りつぶしたくなる恥ずかしいペンネーム.
イラストの脇に添えられているのは,万死に値する浮ついたコメント.
消せるものなら消してしまいたい.

あの頃はお金がなくてハガキが買えず,画用紙をハガキ大に切りぬいたものに絵を描いてしつこく投稿していた.
ドラクエやFFに登場する半裸の女性キャラクターを一心不乱に(月に100枚くらい)徹夜も辞さずに描いていた内向的な少女時代.
もしも自分に娘が生まれたら,そんな風にだけは育ってほしくないと思う.

それからぽつぽつと歌の歌詞のようなものが綴られたノートが出てくる.
そうだ.
コミケの閉鎖的な文化に絶望した中1の夏.
あの日,私は漫画を描くことをやめて,歌手になろうと思い立った.
全世界に通じるような美しいメッセージを音楽でつむぐのだ.
そしてその日から歌を作りはじめた.
若さゆえの吟味を知らない瞬発力はすさまじい.
そこからしばらくの間は本気で自分が歌手になれると思っていた.
しかし,独学で励んだ半年間のボイストレーニングの後,
夢見がちな少女はとつぜん悟る.
正しい音程で歌えないのは気のせいだろうか.
いやむしろ,正しい音程というのが未だによく分からない...
けれど,その漠たる予感から自分が宿命的な音痴だということに気がつくまでにはさらに3年ほど歳月を要した.
中学時代友達らしきものが一切できなかったために,友人の1人が一緒にカラオケに出かけて私の音痴を指摘してくれる,などというほろ苦いハプニングも起こらなかったせいだ.
そして,高校に入ったらバンドを組もうと思っていた矢先の中学3年生,修学旅行のバスの中でひとりZARDを熱唱し,クラスメート全員に爆笑されるという衝撃の事件があってはじめて,私は歌手には向いていない.そう思った.

結局,大学時代の荷物や芝居で使った諸々の品物を処分して,門外不出の歴史の遺物のみ東京へと搬送した.
そうやすやすと夢が現実に変わることはないと知る前の,あの無邪気な全能感に包まれた黄金時代の記憶こそ,夢見ることに頓挫した今の私には養命酒.
自宅に届いた荷物を前に夫が「君,変な子だったんだね」と妻の過去を評しつぶやいたとしても,その薬効は存分に発揮されること請け合いである.

posted by 地図書きのゆみ at 22:22| 東京 ☁| 他生の縁(みのまわりのことなど) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月17日

寿太郎と夢天秤

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私の大切なお友達の寿太郎さんが,人としての分別を大胆に放棄したのがこのたびの春の出来事.
その知らせが私たちに届いたのは口惜しい一昨日のことでございました.

寿太郎さんは美の道を志しておいででしたから,もちろんその感覚を磨き育てるのに広い意味での情操教育が不可欠というのが一般的な見解でしょう.
私も常々,読書や絵画だけでは寿太郎さんの感性を存分に伸ばすことはできないのではあるまいかと心密かに訝っておりましたから,あの方の朴念仁めいた暮らしぶりというのは他人事ながらどこか歯がゆい心持ちがしておりました.

寿太郎さんの暮らしといえば,お独り住まいの屋敷にて蕎麦や冷や麦ばかりを茹でて召し上がっていたようですし,お勤めのない日には朝早く美術展にお出かけになり,人にも会わず飯屋さんでちょこちょこと菜をつまんでまっすぐ家へと帰ってしまうのですから,まるで華やぎというものがありません.
それでも時折は赤提灯のお供が欲しいと思うのか,私の主人をひっぱって行き,どこぞの繁華な街角でお酒を飲まれることもあるようですが,酔えど語れどめぼしい恋の噂など寿太郎さんの話には気配すらよぎらぬとは主人の談でございます.
女性のお知り合いとお出かけになったらよろしいのに,と私から勧めることもありましたけれど寿太郎さんは心外だという顔をして,「興味がないのです」と言ったきり,取り付く島もありません.
そういう経緯がありまして,あれこれ世話を焼いてみたりもしたのですが,一向にそれが実を結ぶ気配もなく,広い世の中には寿太郎さんのような生き方も認められてしかるべきかと甲斐なきお節介は慎んで,私も主人もあれこれ寿太郎さんの人生に口を出すのをやめました.

そんな折も折,突然に寿太郎さんが雲隠れなさったのがこの5月.
いったいどうしたのかと思いながら,私たちも日々の暮らしに追われながらの小市民ゆえ,ひと続きの気持ちを保つのが難しく,あちらへこちらへと用事を片付け心を配るうちにすっかり寿太郎さんとのお付き合いが途絶えてしまっていたのです.
便りなきこともまたよき便りだとは今昔の時代からよく申しますけれど,今回のことに限っては,何か事情があるのではないかと疑ってみるべきでした.
そうすれば,一昨日の真夜中の電信にて,まだ歯も生えそろわぬような若いお嬢さんのお宅に寿太郎さんが体ひとつで逗留していると耳にした時も絶句する代わりに気のきいた挨拶くらい口にできたかもしれないのです.

何でもそのお嬢さんは絵を学ぶために上京されて今はお独りで下宿住まい,けれど故郷にはこれと決まった許嫁がいらっしゃるのだとか.
それで貴方はそのお嬢さんとどうなさるおつもりなのですかと電話口で寿太郎さんに詰めよりますと,「結婚したいに決まっています」と潰れたカエルにも似た情けない声で陳情を始めるのですから寝しなを起こされた私は返す言葉も見つかりません.
許嫁もいらっしゃるお嬢さんがなぜ寿太郎さんとそんなことになってしまったのかは私も正しくは把握しておりませんが,どうやら道を同じくするもの同士,ごく単純に心が惹かれ合ってしまったのでしょう.
それにしても,寿太郎さんの手の平を返すような理性への裏切りはいかがいたしたものでしょうか.
あと数カ月で学校を卒業されるお嬢さんは,それまで寿太郎さんとの関係には名前をつけずに様子を見たい意向でいるようです.
あちらへこちらへとその心が迷いがちな若い娘さんを導いて,人の道を教えてやるのが年長者の務めということは寿太郎さんご自身もはっきり理解しておいでですのに,あの人ときたら,おそらく婚約者を捨てられぬであろうお嬢さんの世話焼き奴隷になる気でいるのですから何ともタチが悪い話です.

ああけれど,
そんな寿太郎さんの愚行も光の当て方によれば美しき感性の訓練にほかなりません.
それは私には手の届かぬ光.
蛍火のような尊い自然の輝きなのでございます.

posted by 地図書きのゆみ at 15:57| 東京 ☀| 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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