2013年09月20日

人生は器、底は抜けている。

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●「パシフィック・リム」を観に行く。

連れも私も3Dは苦手なので、2D字幕版を上映している劇場を探して。
都内だと3D版上映の劇場がほとんどで、立体メガネをかけずに鑑賞できる映画館を探してたどり着くと満席です、とぴしゃり女の切符売り。嵐の中わざわざ新宿都心部までびしゃびしゃ参上した我らにそんな死亡宣告はだめだろうが、女。と思うが早いか、その日の上映はその一回きりだという追い打ち的な事実まで判明。
どよーん。
いやだよいやだよ今更ガッチャマンとか映像未満の代物に金払ってストレスためて帰るなんて絶対いやだよと思っていたらスマホ。連れが懐からおもむろにスマホ。無目的な利便性の追求を厭う傾向にはありますが、こういう窮地を救われたら感謝するね、スマホ。

無事に銀座で2D字幕版のリム鑑賞。あまりの出来のよさに酸欠寸前、かかとは靴擦れ、カロリー不足でパエリヤ完食。久々に映画のパンフレットを買ってしまった。緻密に大胆に、決してやりすぎていない演出が、観る者の五感にさりげなくフィットし、作品とのシェイクハンズを心地よくアシストしてくれる良作だった。しつこく誘ってくれたパシフィック・映画・ファンの知人に感謝。

●人生に普遍的な意味などないということは、当たりまえだと思っていた。

こないだ知り合いと話していて、「人生って無意味だよね」って言うと怒り出す人とかいるんですよーとかいう話を聞いてビビった。
ひえー、である。

つまりそういう人は人生には意味があるに決まってる!と思ってるから怒ってしまうわけで、その「人生には意味があるっしょ!」という一見ポジティブな発想を信じて疑っていないらしい。

まあ、ほかの人のことまで決めつけるのはおこがましいけれど、自分の人生や人生一般に限って言えば、それは本質的に無意味なものであって、何か意味を持つことがあるとすれば、それは誰か他人にとっての意味なり、影響なり、という形で現れうる代物だろうと思っている。
だから「少なくとも私の人生には意味がないし、誰の人生にも意味がある、なんて決めつけているあんたは神か?」的に腹が立つし、そういう浅はかなキャッチコピーを考えなしに信じている人間の精神的な怠慢と善意でコーティングした思い込みの押しつけにはまったく辟易してしまう。

そもそも人生の意義・意味・目的、みたいのが手離しに「これだ!」と定まっているなんて、なんだか変じゃないだろうか。
だって皿は料理を盛るためにあるわけだし、ハサミは紙とかをチョキチョキ切るためにあるわけで。
だったら人生も何かを盛りつけたり、チョキチョキするための道具なの?と聞くと、そりゃあ幸せになるための人生に決まってるじゃないか、とか言う人もいて、じゃあ幸せ(幸せという言葉も漠然と便利に使われすぎてて、その使われ方が個人的には非常に気に入らないのだけれど)って状態に着地できない人間は人生という道具の使い方を間違えたってことなのかい?とちょっと突っ込んで聞きたくなる。だいたい人生を失敗とか成功とかで測量することも野暮であるし、そのとき使う物差しに「幸せ」とか「不幸」とかスライムみたいに適当な概念を持ち出すんじゃないよ、誰が決めてんだよそれはよ、とか。
(ああ、カルシウム不足かしら)

そもそも意味や目的があるものって、単なる道具にすぎないんじゃないだろうか。それよりも、意味や目的が備わっていなくても存在が許されているものの方が価値としては上なんじゃないかなぁ。
つまり、人生に意味がない=人生に価値がないってことではないと私は思うんだけれど、やっぱり言葉にまどわされるのか、「意味がない」という表現の響きに条件反射的に反発する人は多くて、「意味がないにも関わらず、我々は生まれ、ここにいる」というそのことの意味をもっと考えてみたら?とかそういうことを最近よく思う。

●ナイチンゲールの愚痴を聞く宵。

今年から看護師デビューを果たした友人と三年ぶりに再会。
お互い離縁を経験した者同士、三十過ぎた独り身の女がこれからどうやって生き延びていったらいいか、などという世知辛い話はとくにせず。
看護師業界の体育会系文化について、いろいろとこぼれ話をこぼしてもらう。
シャンディガフ2杯、コロナ1本、レモンビールおかわり。
何とかの盛り合わせをもりもりと食べる。

聞けば朝は5時起きで始業時間の1時間前に出勤。夜は基本的にサービス残業。自宅に帰ってからはレポート作成、毎日提出。聞いているだけでハードな毎日を送っている彼女だが、私の眼には三年前より力が抜けて、居心地が良い奴になっていた。その毒の抜けたやわらかな表情にすくなからず私は安堵した。

三年前の彼女の離縁のごたごたの折は、私までなんだかつらかった。
混乱とショックに加えて、未来のビジョンがあれよあれよと崩れ去り呆然としている人間の背中に、気の利いた言葉をかけられるほどには私は人生を知らなかった。
自分が離縁を経験してみて、あの時の彼女のすみずみまではやはり私には理解も配慮も及ばなかったなと、時々考え顧みるのが最近のことであった。

しかし、そんな時期を乗り越えて、いま私の目の前で飄々とグラスを空にしていく彼女の横顔は、自分にとって何よりの景気づけとなってくれた。その楽天的なあきらめと現実的な内観が、もとから賢く生真面目な彼女の新しい魅力としてキラリ眩しく心を射る瞬間が幾度か訪れた。
助け合うとはこういうことか。
言葉で励ますでも、慰めるでもなく、背中や横顔を見せあうことで救われるような。
めずらしくその晩は、人付き合いというものをわりと愛おしく思った。
不器用ながら、誠実に自分らしく生きるために努力するナイチンゲールのおかげである。
posted by 地図書きのゆみ at 15:16| 東京 ☀| Comment(0) | 観(あのときはこうおもっていたようだ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月13日

そうだ、マジカル・リサイクル・サービスを呼ぼう。

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マジシャンになりたいと思ったことは一度もない。
タネとしかけを育てるのにずいぶん骨が折れると子どもの時から聞かされていたし、ほとんどお手本に近い失敗例を間近に見ながら育ったせいだ。
僕のパパンは生まれて1時間もたつともうマジシャンになると言い出して、子どもの頃からその欲望に周りの人間を巻き込んできた。結局は運と才能に恵まれていないことが段々わかってきたのだが、パパンはそれでも人生のかなりの時間を費やして、マジシャンになるべくもがいていた。
(彼はマジシャンに敬意を表して、それを「マジッシャン」と発音した。僕はどっちの言い方でも別にかまわないんじゃないかと思っていたけれど、パパンの前では一応そこには気を遣っていた。)パパンはずいぶん熱心に手品の研究を続けていたし、各地の有名な「マジッシャン」にマジックの「コツ」を聞くために何日も車を走らせて大陸を縦横に行き来した。
だけど結局彼のそのおそるべき集中力はある日を境に矛先を変える。
長いこと手品によって目隠しされて気付かなかったようだけれど、パパンは実は相当に目移りしやすい性格だった。彼は手品修行の途中でパスタソース作りにハマってしまって、今はペンネのゆで加減やバジルや野菜の鮮度にうるさい、ふつうの庭師におさまっている。
(パパンの3番目のガールフレンドが僕の妹を産んだ年に、彼ははっきり家族の前で、「今日というこの日をもって、パパンはマジッシャンをあきらめる」とそう宣言した。)
4番目のガールフレンドと別れて落ち込んでいたパパンは、ある日オリーブの木の剪定中にアイスレモンティーを入れてくれた人妻と恋に落ちると、やがて彼女の望みどおり、シルクハットも鳩もダイスも、何年もかかって集めてきた倉庫2つ分の手品道具のすべてをあっさり手放した。マジカル・リサイクル・サービス。七色のペンキでそう書かれたトラックがやってくると、パパンの唯一ともいえる財産(リサイクルサービスの回収担当は見積書の「おもちゃ」という欄に迷いなくチェックを入れていた)を手際よく箱詰めにして、どこか知らないところへとそれらを永遠に運び去った。
今から12年前の話だ。
それ以来、パパンはもう二度と手品を披露しようとはしなかったし、タネやしかけについてのお得意の講義もぶたなくなった。
僕は大人になり、特に好きでもない自動車修理工場に週6日通って、休みの日にはじっくり油の染み込んだ分厚いつなぎを2着、ランドリーマシーンに放り込む。ガールフレンドはたまに家までやってくるが、時々二度とやってこない。
だいたいそんな風なことが繰り返されて、そのサイクルの中に含まれるひとつひとつの出来事に僕はペプシを飲んで納得する。なかなか見事なゲップが出ると、自分の暮らしがまた一周し終わった合図だ。ささやかなピリオドがひとつ、僕の歴史年表に打たれる。

自分にはマジシャンの素質があるのかもしれない。
だから僕がそんな風に思い始めたのは、本当に思いがけないことだった。きっかけというほどのことはない。ただ、ごく自然にそれは起こって、その場に居合わせた全員をぽかんと驚かせたまま、僕はそれがマジックなんだということをごく淡々と受け止めるしかなかった。
その日の僕らは工場の休憩室で、まだ終業時間前だというのに、テレビを見ながら冷たいビールを飲んでいた。
喘息もちの工場長が見回り中に発作で死にそうになっていたのをレスキュー隊員に引き渡して、僕らはもうすっかり仕事する気分じゃなくなって、とりあえず酒でも飲もうと誰かが言い出したのに従ったのだ。
やりかけの仕事は残っていたけれど、ちょうど太陽も落ちてきて、ただでさえ照明の足りない工場の中は隅の方から暗闇がしずかに広がってきていた。
何人かは家に帰り、帰ってもしかたない連中はなんとなく残った。冷蔵庫から何本かのコロナとビールを取り出して栓を抜くと、僕はほかの連中と休憩室のぼろいテレビを眺めていた。
フットボールの試合がだらだらと続いていた。
そろそろ隣に座った奴が玉突きにでも行こうと誘いをかける頃合いだった。
だけどその日に限ってそいつは空の瓶を振ってこう言った。おい、もう酒はないのかよ。
それは一番年下の僕に、椅子から立ち上がってさっさと冷蔵庫の中を確かめてこい。そういう意味だ。
去年の夏、女房に逃げられた可哀そうな男だ。工場にはそんな連中ばっかりが吹き溜まりみたいに集まっていた。
彼らのうつろな視線がテレビのガラス面越しに、ここではないどこかをさまよっていた。
休憩室のすみにある冷蔵庫は、低い不満の声に似たモーター音をたてて僕を見据えていた。
急に誰かが見事なパスを成功させて、相手チームが逆転のシュートを決めたらしい。小さな機械の箱から漏れる歓声と光が一瞬にして大きくなり、男たちは何も言わずその光景を見つめたまま、背中の影の色を濃く強めていた。僕はその後ろ姿を何か物悲しい気分で眺めた。
テレビの実況とだいぶずれたタイミングで、誰かが耳障りな奇声を上げた。酔っているのだ。べとついたドアの取っ手に手をかけたまま僕はその声を無視して、ゴールを決めた選手がチームメイトの輪の中に誇らしげに戻っていく様子をぼんやりと見ていた。
だからというわけではないけれど、冷蔵庫の一番近くにいたくせに、そのおかしな事態に気が付いたのは、僕が一番最後だった。みんなが僕の方を見てわあわあ騒ぎ出して、それでようやく何が起こっているかを知ったのだった。
僕はその日以来、あれこれと考えざるを得なくなった。心地よく意味のない僕の人生のサイクルが、知らない誰かのでかい手でぐしゃぐしゃに握りつぶされようとしている。その状況をペプシで一気に片づけることもできたが、それは最終手段にとっておこう。僕はめずらしくそう思った。

いったいどういうトリックを使ったんだ。
休憩室にいた連中は、あの後いっせいに僕に詰め寄った。
僕が開けた冷蔵庫の中には、つい1時間ほど前に運ばれていったはずの工場長がいたのだ。彼はがんじがらめの拘束具をつけられた状態で、クッションか何かのように丸まって、狭い箱の中に乱暴に押し込められていた。眼はかたく閉じられて、死んでいるようにも見えた。
事態がややこしくなったのはそのあとだ。僕が冷蔵庫を開け閉めするたびに、悲惨な姿の工場長がその中で出たり消えたりしたのだから。僕がそれを出そうと思えば出たし、消えろと念じればそれは消える。そしてまったく奇妙なことに、ほかの誰がやっても無駄だった。何度扉を開け閉めしても、そこにはコロナとジンジャーエールの瓶が2本。そしてカビの生えたラードの塊にバターナイフが刺さったまんま汚らしく転がっているだけだった。
僕が子どもの頃、パパンがよく話してくれた手品のタネとしかけの話。僕はその話を思い出さずにはいられなかった。それは自分だけの力でどうこうできるものじゃないんだ、とパパンは言った。それに見初められるかどうか、そこが大事なんだよ。(あとでそのくだりが有名な奇術師の受け売りだと知ることになるが、そこは仕方ない。僕のパパンはいろいろなものを寄せ集める才能だけは見事だったのだ。)
付き合いたてのガールフレンドと同じさ。お互いが恋に落ちたなら、あとは育てていくものなのさ。そいつがうまくいった暁には、きっと素晴らしいマジッシャンへの道が拓けるだろう。そしたらどんなヘビーなショーでも絶対乗り越えられるだろう。神様の手が味方する。

だけど僕は、マジシャンになりたいと思ったことは一度もないのだ。
乗り越えるも何も、マジックショーをやりたいとすら思っていない。パパンのように、タネとしかけと恋に落ちて、彼らをかわいがった覚えもない。あんな奇妙なことを自分がみんなの前でやってみせたことだって正直まったく嬉しくない。「できる」と「したい」と、ましてや恋はとにかく全く別物なのだ。
電話でそのことをパパンに話すと、しばらくパパンは何を言っていいか分からないという風に口ごもって、スパゲッティを茹ですぎてしまうから、という言葉を最後にそのまま電話が切れた。
おそらく、僕はパパンのナイーブな未練をうっかり蒸し返してしまったのだろう。
だけどやっぱり僕はマジシャンになりたいとは思わないし、自分が何の気なしにやったことが素晴らしいショーになっていたとしても、周りの人には「気にしないで」と笑ってお茶を濁すしかない。
ましてやパパンの情熱を受け継いだ「偉大なマジッシャン」なんて僕はほんとうにまっぴらなのだ。
posted by 地図書きのゆみ at 11:56| 東京 ☀| Comment(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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