2014年02月25日

けもの桜、うめ乙女

けもの.jpg

さくらはとっても嫌なのです。
だって、あれは草木でなくて、むしろけものにちかいから。

みなさんさくらをよろこびますが、みぐるしくって嫌なのです。
さくらのちらちら白いもの。風によじれる白いもの。
それはさくらの色じかけ。

みなさん色には目がないようで、おらおら出かけて酒に酔い、
「みごとだ、みごと」とものを喰う。
なんとたやすく色香にまどい、おほねを抜かれてしまうのか。

わたしは何だかはがゆくて。
けれど手出しはできません。

さくらのみごとな正体は、宴も飽いたそのころに。
太くて黒い腕ぜんたいに、ゆさらゆさゆさ青髭はやし、
まるでおとこのようなのです。
まるでけもののようなのです。
欲が土から顔を出し、立った姿がさくらの木。

わたしはまいねん見ています。
どうせここから動けずに、さくらを伐るのも人のわざ。
だからわたしもささやかに、小梅を肥らせ色じかけ。
posted by 地図書きのゆみ at 15:05| 東京 ☀| Comment(0) | 作文集(ひまつぶしによむよみもの) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月22日

お日様不在の雪氷学

CIMG2863.JPG

雪と氷の専門家に会うために、電車に乗って。
石の結晶ロードをかちりかちりと踏みしめて土曜日。
手に入れたばかりの「雪氷辞典」にその人は、名前を連ねているのだった。

オーロラの仕組みや、極地でのサークル活動、新聞部、栽培部、ごはん部、けんか仲裁部、南極大陸をジグザグに飛ぶ自動操縦飛行機があそこに、などと、指先をあっちへこっちへとレクチャー。
そして、あなたを連れてきたのはどんな不思議なのでしょうと、ぐるりと展示室を見て、あれか、と一枚の地図を発見した様子。あれです。と心に思いながら、その人についていく。

それは地球の神秘をあらわす謎の地図。ちょっと私が最近夢中な、あの地図。
実はね、この湖の名前をつけたのは、わたしなのさ。
ふふふ。とは言わなかったけれど、その人は。ふふふ、という感じなのだろうと私は察知しました。
氷の下に埋まっている太古の湖の中には、何億年も昔の色が、空気が、温度が、音が、溶けて溶けて溶けているのだ。
もやもやと溶けて。
こんこんと溶けて。
ああ好きですこの時間が、と思いながらその人を見ると、火星の隕石がよくとれる場所はここ、などとまた指を動かして、ちっとも私の好奇心の行方には無頓着。彼は。
それから?
これはサービスですよ、と言って秘密の立体模型で秘密の氷の話をしてくれました。
わたしがサービスという言葉の意味を考えているうちにお話はどんどんと進んで、うちの研究所の内線の6番が地球の自転軸のほとりにつながっているのだ、などと、ファンタジーっぽいことをおっしゃるのですが、それが現代科学の事実なのですから。すごいのだわ。
東京のへんぴな、裁判所とか、区役所とか、あとはバス停、くらいしかない殺風景な場所から、地球のてっぺんにある、オーロラとかうじゃうじゃ出る、冷凍庫の最中、みたいな地点にハローハローハロー可能。なんですって。どっひゃ。



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2011年12月11日

繊細家が行く埼玉圏、めのなかのドライブ

いお.jpg

セザンヌたちは描かなかった、未来の国のさいたまけんを
地球の自転にさからって、くるまは西へとつきすすむ。

古びた魔法の絨毯のように冬の畑が横たわって、
家々はその中にさびしく取り残されている。
まるで、だれかが、かたづけわすれたおもちゃみたいに。

もう、世界は、別の部屋へとすでに。
移動してしまったのです。
秋は、ずいぶんと年老いてしまったから。

色違いのマッチ箱のような人々のすみかは、
そのような季節の伝言板の一部として、
いまなお、景色の中に滞在している。

今生の終わりに勃起するという、純粋な好奇心みたいに柿の木がいっぽん、
わたしという写真機の、あいまいなフレームの中で立ち上がって、
そしてその中で、
柿の実たちは、一心不乱に空を見つめている。

なにが? 
見えているの?
そこに。

わたしが柿の実を見つめているかぎり、
かれらの見ているものはわからないのに、
わたしはかれらから、けっして目をはなすことができない。
死んでしまった命のような、
なつかしい点描のしぐさがつくる、
線香花火のさいごにも似た、
果実たちのすがた。
なぜ?

わたしのしらない仕組みでくるまは、
あっという間にあたらしい眺めをはこんできて、
それをこの目の中にどんどんと注入している、
麻酔薬もなしに。

だからときどき、いいえ、もっとひんぱんかもしれない。
トゲのように刺さって、わたしをきずつけるような、
しあわせなふうけいや、うつくしいなまえ、
不完全にみえるせかいが、きょうも大団円をむかえている、ということ。
そんなこの世のながめたちに、
ふいにおとずれる恩寵に、
わたしはおじけづいて、たちすくむことしかできない。
ひりひりといたむ、きずついた粘膜をかばいながら。

これが、こんなふうないまが、
この世界で、わたしという存在が、ある、ということなのですか。
これが、このかなしみに似た、とある人生の記録映画が、
きっぷとこうかんで誰かに分かたれるような、
そんなある日が、
そんな種明かしみたいにすばらしいある日が、
いつか、わたしにも、おとずれるのですか。

けれど、やはり。
たずねてみても、やはり。
見つめているうちは、この世界が何を見ているのか、
わたしにはわからない。

目の中から外に出て、さむぞらにガソリンのにおいをかぐと、
くるまは夜の中に停車して、
欠けていく月の姿を、じっと見ている。
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2010年08月12日

序来

hastu.jpg

相対性理論について,
ロシアンルーレット寿司に鼻粘膜を爆撃されながら
三鷹の狩人きづきぃにレクチャーしてもらったのは
まだ4月だか5月だかその頃のこと.

時間は伸び縮みするのだとか,光の速さにてうんぬんとか,
さすがはそのむかし宇宙工学を学んだというだけあって
何やら参考文献も矢継ぎばやにきづきぃは
どんどんと列挙するアメリカンダイナーにて.

ワサビの武力に敗北して以来,
鈍速でしか動かぬわたしの頭脳に単語と概念シュタタと打ち込み
好奇心を移植するドクターの腕前で彼は,
「量子の国のアリス」を読んでくださいというから,
もちろん後日図書館で借りたけど,図書館の本を読むというのは,
人妻に遊んでもらっているみたいな
先が見えてる感じが虚しくてどうにも,
だから結局借りたものを返しただけで
まだ未読のストーリーについては蟻の子一匹も先に進まない葉月,
量子とアリスのティーパーティーの行方は白紙.

あれから何年たったのかしら...
ってまだ数週間のみ経過の現在ですが
読書習慣よ紅海に来たれ.
モーゼがまずは海を割り,
食いしん坊が箸を割り,
量子とやさしい中性子
無知なわたしに腹を割る.
もうすぐ読書の秋ですね.
さんまラブ.
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2010年03月24日

墓場越しダイヤモンド

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墓場から立ち上がる巨大な霜柱はもちろんビルで西新宿
ビルたちは虹色の目、3000粒のダイヤモンド
だって夜だからそりゃ光る
内側から照らしてなどいないくせに何カラットあるのよ
頭蓋骨と話をするという男の人に会いにあたしは
雨をあびるともう西新宿
何番目の骨に話しかけているの嘘つき
もう気持ち声をあげて少し驚かせてみせて夜空を
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2010年03月04日

焦がれる氷乙女、未だ溶けず

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スタバでマカロン頬張りながら、
ミネラルファンデやジェルライナー
アルガンオイルの話をしたい。

若い女子のみ限定の
恵比寿か中目のヨガスタジオで
無心に油を燃やしたい。
美人の隙間で息したい。

夜更けに湯船で長電話
彼氏の浮気を愚痴りたい。
のぼせて指紋は立体化
むくんだ五臓はまた肥大。

四面のタイルが沸騰しても
まだまだ骨まで届かない。
あたしの体は永久凍土か、
溶けても溶けてもまだ固い。


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2010年02月22日

捜索の手引き

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物理的に追い出しを喰うことはあらねど
状況に押し出されての屋移り
術なし術なし
ナポリタンは駄菓子
李白と杜甫
ヘンゼルとグレーテル
ごとうさんと洪水波浪注意報
しょんべんくさいがきの意味がわかる
敏感すぎる中年
ぶどうジュースを葡萄酒だと勘違いしていた
時代を忘れちゃいけない
雲は炎で燃えて空
友達はみんなまじめ
天蓋町
地下町
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2010年01月27日

往く月の宴

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おいと目が覚めて,
「とてもはやい」という名前の粗茶を煮出して
湯気にあたっているともう夜だ.

はやいというより,見えないくらいでその速度.
時間は弾丸,糸を引く魔球.


あわてて髪を梳かしつけ,
風が前からこう吹き付けてくるぞ
という格好に整えて戸締り.
図画工作の夜は更けて,アルミ箔で誰かが
お日様を満月に変えて空をレイアウト変更.

画鋲が画鋲がお星さま.

「まだはやい」という名の電車に乗ると,
そこはいつでも電話の時間.
どこかの知らないお得意さまが
着信履歴を売る時間.

いまいくいまいくこんどいく.

ガラス越しの夜に
いろいろなことを思い出すたとえば.
烏帽子青年いわく,
僕の鼻粘膜を焼きましょうか
あなたさえよければ.
だめだめそんな,そんな勇敢.そんな愚行.
わたしの一存などで粘膜のことは
すべて自己責任でお願い.

また木月,あらわれる亭主.
入店したのは「もうおそい」という名の
しゃぶしゃぶ温野菜.

掬っても掬っても溶ける肉は
舌に乗らず出し汁ばかりすぐ注ぎ足される真冬.

posted by 地図書きのゆみ at 15:58| 東京 ☀| 作文集(ひまつぶしによむよみもの) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月03日

お願い

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お願いがあるのだとあなたは言って、
覚えていてほしいのだと彼女に生餃子を押し渡す。

彼女はまだ仕事中で、雪の散る商店街の黒く冷たい
墓石の道にその足が埋められているのです。
彼女の23センチの右足と23・5センチの左足は。

何を?覚えているべき?わたしは?とたずねる前に
彼女は生餃子の入ったプラスチックの容器を、
平べったい昆虫みたいな形のその透明な容器を、
ぐしゃりと濡れた地面に落として、あ
の形に口を開いて人形みたいに固まってしまう。
血が凍る彼女の指先にはポケットティッシュ、
あの素晴らしいあなたの伴侶、がビニルに包まれて
真四角く上品に抱かれている。
それはとくに彼女の大切なものではないのだけど、
ポケットティッシュは。けれど彼女は仕事として
それを配らなくてはならないのです。
見知らぬ人たちに。
だから、
彼女の仕事のすきまに生餃子を差し入れるなんて
非道はやめてあげてちょうだい。
そういうお願いをわたしがしたことを、
覚えていてほしいの。
あなたがいつも好きだという、生餃子をいまあげるから。
お願い。
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2008年11月28日

フローチャートA

ひまわり.jpg

それは、いなくなり方、とでも言うべきものなのだろうか。
人がある場所から強固な意志をもって自らの姿を消してしまう、
そのやり口について、何か呼び名をつけるとすれば。

仮に、それをそう呼ぶのだとして、そう呼ぶのだとすれば、
わたしはもうずいぶんと長いあいだ、
彼女の「いなくなり方」について考えをめぐらせている。
そういうことになる。

彼女をこの世界の外側へ、あるいは内側へと押し出した
ものは、いったい何だったのだろうか。
ということについて、わたしは隅から隅までくまなく検証しよう
と、試みている。

わたしがそれを考えるときに、必ず頭に浮かぶのは
台所に立つ彼女の後ろ姿と、鍋に湯を沸かしながらはるさめが
と言いかけて途中で止めてしまったぽかんとした唇のかたちだ。

そうだった。
と、わたしは思い出す。
最後の夜は中華サラダを作るのだと彼女は言っていた。
中華サラダを作るために、いろいろと準備が必要なのだと。

何事もない一日だった。
とくに変わったことも起こらない。
ニュースは流れ、雲は走り、電車に乗れば人間ばかりが目についた。
だからというわけではないが、その日はあまりものを考えなかった。
と、記憶している。
その日は?
その日も、だ。
その日も、わたしはあまりものを考えなかった。

仕事を片付けて、20時すぎに家に帰ると部屋が寒かった。
台所で夕食を作っている彼女にそう言うと、
買い物から帰ったばかりなのだという返事が返ってきた。
食事ができるのを待つことにして、わたしはテレビをつけた。
閉め忘れたカーテンの隙間から、真っ黒な夜が見えていた。

発光するテレビの向こう側に、作業する彼女の姿が見えた。
献立のことを何か言っているのが聞こえたが、
テレビの音に食われて、そのまま溶けてしまった。

わたしが何も応えなくても、彼女がこちら側にやってきて
もう一度自分の言葉を繰り返すようなことはなかった。
わたしが応えようと、応えまいと、彼女は一人で何かを
考え、口にし、作業を続けていた。
その様子は、まるでもう一台のテレビが、ここにはいない
彼女の姿を映してわたしに見せているように見えた。

目を移すと、テレビがわたしに話しかけてきた。
話題は中華サラダだ。
きゅうりとハムを千切りにしておきます。
春雨は水で戻さなくても、フライパンで煮てしまいましょう。
時間と手間がはぶけてとても楽ちんですよ。
鶏がらスープの素を小さじ一杯忘れずに入れてください。
水気がなくなるまで炒め煮にしたら胡麻油を回しかけて
手順1の食材をしっかりと混ぜ込みます。
ねえ、どうしようはるさめがと彼女が言います。
はるさめが、と言いかけて途中で必ずやめてください。
酢を大さじ2さとう大さじ1しょうゆ大さじ2調味料は
しっかりと味をつけるように多めに入れるのがポイントです。
仕上げに煎りゴマをまぶしたら、すっかり彼女はいなくなっています。

ガスの火はついたままだった。
すっかり彼女はいなくなっていた。




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2008年04月21日

浮き雲に、記憶地図を宿しつ

tokyotower nuit.jpg

夏太郎さんと出かけるといつも雨になりますが、
そう嫌な気持ちにならないのは何か理由があるのでしょうか。

表通りに出た途端、白い町景色に粒々と水滴たちがやってきて、
視界をすべり落ちては灰色の道を黒く染めていく。
たびたび起こるこの出来事に、私はすっかり慣れっこになっております。

ご本人はと言いますと、小雨も嵐も鬱陶しいというような口で
お洗濯の算段がつかぬことなどを時々お話されますけれども、
それでもその御心うちは案外この煩わしい空模様を楽しんでおられるようで、
それがこちらの気持ちを少なからず身軽にしてくださっているのではないか、
などと勝手に見当をつけては浮かぬ天気にも挫けずに過ごすことができている
そんな此の頃なのです。

夏太郎さんは奇遇なことに、私の生まれた町にお住まいということで
これも何かの御縁かと嬉しい気持ちでおりましたが、先日のことです。

駅前でお蕎麦など食べましてから、
思い出の跡地をぽつぽつ夏太郎さんと二人、訪ねて参りました。

私がほんの小さい時分に踊りのお稽古をしておりました教室や
小学校までの深緑の通い路。
一家で暮らしていた集合住宅から、夕闇越しによく眺めた線路近くの釣堀。
なくなって街並に溶けて消えてしまった保育園。

記憶の地図と照らし合わすようにして、
どんどんと夏太郎さんの手を引き、私は歩き回っておりました。

やがて歩いてゆくうちに、あんまりにもその町が小さく
あっという間に自分の思い出探しが終わってしまったことに
私は愕然としました。

世界の果てだと恐れていた地帯はあまりに身近で、
悲しいほどにつまらぬ景色に変わってしまっておりました。

いえいえ。

景色が変わったのか、私の心がつまらなくなったせいなのか、
それはどちらとも決めず曖昧なまま泳がせておきたい気が
今はいたします。

暮らしていた建物は跡形もなく滅び、何か別の場所になることが
決まっているとだけ、看板は指差しておりました。

その場所から程近いところに夏太郎さんの住まいはあり、
電車の行き交う音が心地よく響いては彼の部屋を揺らしているのです。

冷凍されていた時間が、
枕木の上でゆっくりとゆっくりと現在に溶け始めていくように感じます。

不思議なめぐり合わせを思いながら、
雨降る時刻と洗濯物の心配などをしつつ本日も外出をいたしましょうか。
夏太郎さんと、そんな相談をしております。










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2008年04月07日

人類は無力、わたしはお湯を沸かす。

ufobookstore.jpg

沸騰するお湯の前で人は無力だ。

ヤカンを火にかけしばし待機のぼんやりタイムに
ふと悟ったのである、わたしは。

鍛え抜かれた屈強な肉体をもってしても、
研ぎ澄まされた明晰な頭脳をもってしても、
丸腰の人類諸氏が素手で熱湯とやりあうなど
もってのほかであるし、
戦のち敗北の結末は誰の目にも
しごく判然としている。

まして、
まして、
もくもくと真白き蒸気にその身をなかば変えながらガスの火あぶり。
不敵なステップで踊り続ける高熱の液体H2O(自称ダンサー24歳)を
柔肌の両の手の平で掬い取って茶葉やらブレンディやらで
味付け色付けあげくごくごくうましと飲み干すなんて魔人のごとき所作は
非力な霊長類ヒト科のわたくしにはなかなかに難しく、
やかんの注ぎ口からじょいやさじょいやさと祭りの若い衆の勢いで
手の平立体地図に刻まれた生命線感情線頭脳線その他いろいろ
運命に関わる溝を煮立った湯で埋めふさぐなんて狂気の沙汰だ。
大火傷するぞ、自然のなりゆきで。

だから、湯飲み茶碗なのだ。
あの神々の遺産よ。
コーヒーカップやラーメンどんぶりや五右衛門風呂も
湯を受けて担保する器という意味で平たく言えば
すべて湯飲み茶碗と称してもさしつかえあるまい。

湯飲み茶碗がわれわれ人類の不可能を可能にし、
熱湯との「いい勝負」を実現してくれている。

湯飲み茶碗なくしては、
千利休の登場もボストン茶会事件も昨今のカフェ・ブームも
お茶がらみのどんなムーブメントも
人類の歴史上に波風ひとつ立てずに無風のジパング、2008年。
今日まで時は蛇行しすずしい顔で流れうだっていたに違いない。
ホワイエ。

そんなわけで、すばらしき文明の利器を賛美しながら
沸騰を告げるヤカンのもとへと急ぐとある星の深夜1時。

その昔、酔っ払って足の指に熱い湯をそそぎ
べろべろに火傷してしまった痛ましい記憶を思い出す。

あのときの自分はまだ、神の使者・湯飲み茶碗と
出会っていなかったのではあるまいか。

夢のような発明品が立ち並ぶ炊事場で、
そんなどうでもいい思い出の辻褄あわせにひとり興じる。







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2008年02月18日

ずくり千枚通し、あなあく夢みがち

2008 021.jpg

夜のふくろに1000枚通しで
あなあけられて夢みがち
ロマンチストはお金が好きで
あおくてぬるい春を売る

じょいやさじょいやさ
あなあけられて
じょいやさじょいやさ
ゆめみがち

嘘をつくほど誉めそやされて
唇縫っても水が漏る
そう
うそをつくほどほめそやされて
くちびるぬってもみずがもる

ああかんたんかんたん
みずがもる
かんたんかんたん
ふたいらず

いつかみたゆめだれかにはなす
それはうそだとひとがいう
ゆめがうそならうそはゆめ
ロマンチストはうそをつく

ほんとよほんとよゆめみたい
ああほんとにほんとに
たまらない

まるでがびょうかまちばりか
さされたことにもきづかない
けれどそのおとそのいろが
もうほんとにほんとに
たまらない

ああとおしてとおして
せんまいどおしで
せんまいせんまいゆめみたい
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2008年01月10日

紆余曲折の人間関係

touching.jpg

夫の上の空は、
妻の紆余曲折に今朝方、ある禁止令を申し渡した。

かねてから続いている彼女と七転び八起きとの関係に
断固たる清算を求めたのである。

七転び八起き禁止令。

妻の顔は青ざめていたが、不義の姦通をとがめられたことが原因ではなかった。
相手を突き止めておきながら、
その心内の気配を微塵も漏らさずにいた夫の周到さが
彼女には不気味で恐ろしかったのである。

上の空は、皿の上の卵の黄身を箸で崩しながら、
自分だって何も考えていないわけではいない、
というような事を口にする。
紆余曲折は、それが離婚も辞さないという夫の決意表明だと
捉えながら、しかし一方で彼女の夫にそれは出来まいと高をくくっている。
なぜなら夫は間違いなく自分を愛し必要としているのだ。
そうでなければ朝の食卓で不倫の中止を求めるような
差し迫った行動にあえて出るわけがない。
無駄な骨折りに時間を費やすよりは
軽蔑しながら不実な妻を捨てればいいだけの話である。

だからこの場合、ことの次第を決定するのは紆余曲折だ。

七転び八起きが自分に多くをもたらしてくれることは確かだ。
彼女はそう考える。
かと言って今、彼に全面的に自分の身を預けるのはどうだろうか。

おそらく、夫婦生活を捨て七転び八起きに走ったところで
いずれ飽きるか飽きられるかして関係は破綻するだろう。
上の空と七転び八起き、この間を行き来している現在が
彼女にとっては一番落ち着きの良い状態なのだ。

夫の誘い水に乗って何かを決断すれば、自分の状況は確実に
望まぬほうへと悪化する。

そこで妻は、冷凍庫から手持ちの切り札をいくつか出してきて
皿の上に並べる。

そのうちの1つは、夫の過去の過ちである。

上の空は数年前に一度、浮気をしたことがある。
相手の女は紆余曲折も知っている、友人の挙動不審だ。

紆余曲折が夫と挙動不審との事を知ったのはつい最近のことだったが、
自分も七転び八起きと長きに渡り不倫を続けていたわけだし、
おまけに夫が浮気をした当時、七転び八起きとは別に
縦横無尽や諸行無常とも逢瀬を重ねていたのだ。
彼らとの間に、個別の肉体関係を結んでいたことは言うまでもない。
だから夫の裏切りも、過ぎたことだと
自分の胸のうちに溶かすつもりでいたのである。

とは言え、主婦の性というやつだろうか。
なぜだかそのとき、紆余曲折は、夫の過ちを冷凍室に保管した。
それがこんな形で役に立つとはさすがに思いもせずに。

解凍されていく過去の裏切りを突きつけて、
上の空に彼女は言う。

「こんなことになったのは、いったい誰のせいだと思っているの?」

皿の上の過去に、今度は上の空が青ざめていく。



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2008年01月03日

別に輪廻とは関係がなかった。

tresjoli.jpg

1月1日の早朝、わたしは病院へと搬送された。

もちろん、これが今年初めての搬送である。

過去にも幾度となく救急車にお世話になってきた自分だが、
元旦にレスキューされたのは、今回が初めてだ。

初搬送で初体験。
初物つづきで縁起がいい。

搬送されている最中は、そんな風にはまったく思えなかったが
どうでもいい他人事として後から振り返ってみれば
なかなか貴重な経験だと言えなくもない。

担架で車まで運ばれる際、転がり落ちないように
ベルトでがっちりと胴体を固定され動けなくなる。
この状態でハリケーンに襲われたら
担架ごと舞い上げられて、それこそ凧のように
空に上がってしまうな自分は、
などとどうでもいい予想をしては
どんなに縁起がよくても凧そのものにはなりたくない、と思う。
「アイ・ドン・ワナビー・ア・タコ」
である。
その時がきてしまったら、
欧米風に強く意思表示をしようと決意する。

ニューイヤーホスピタルにて。

レントゲンや血液検査を受けて、医師の診断を待つ。

当直の女医先生の下の名前が「千」だった。
ジブリか。
千先生は中華風の面立ちで、薄いレンズの眼鏡をかけている。

正月にもかかわらず、千先生は
タコになることを恐れながら救急車で運ばれてきた女の
みぞおちあたりを触診している。
それとも気づいているのだろうか、
私が決してタコにはなるまいと気持ちを硬くしていることを。

どうでもいいことだ、そんなわたしの心の有り様など。

ほんとうに。

もんだいはこの激痛だ。


しばらくして、
胃痙攣と診断された。

病院にたどりつくまで、
あまりの胃の痛みに輪廻転生を5回くらい経験したような
疲労感を味わったが、
痛みの原因は輪廻ではなく臓器の運動だったか。

しかし胃痙攣とはね。

胃もまさか新年そうそう痙攣を指摘されるとは
「たはは」といった感じでいるのだろうか。

「たはは」じゃないんだよ、胃。
なにも正月に痙攣しなくてもいいじゃないか。
本気で死ぬかと思ったよ。

時節わきまえぬ突然の臓器反乱に
腹立たしい気持ちにはなるが、腹を立てると
腹の中の胃がまた刺激で痙攣し出すかもしれないので
菩薩のように微笑んで、身も心も休めるよう努める。

日の出前に救急車を呼び、
苦しみ続ける人と化した私をおぶって連れ帰り、
正月返上で手厚く看病してくれた伊都子夫妻には、
当分頭が上がらない。

せめてもの恩返しに、こんなわたしの胃袋でよければ
お二人にはいつでもお役に立てていただきたい。



















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2007年12月09日

すべて明朝体のながめ

starroad.jpg

ゆふがた
きっぷをてにつかれたおかおで
おつとめからかえっていらっしゃる
かえるあなた

よくしつをあたため
おゆうしょくのしたくをして
かみをとかしてからえきまで
えきまであなたむかへにいって
きえさるわたくし

えきからのさかみち
くだりながらとぼとぼ
わたくしとあなた
まるでひとそろえの
おはしのようにいつも
ならんであるきゆくどんどんと
どんどんとゆくしわす
ゆくしわすいずこ

ほんじつのこんだてを
おしへてあげましょうかあなた
おんせんのようにあたためた
ゆどうふとおみおつけ
しゃっきりといただける
れんこんのあえもの
それからかんにしたおさけも
ごいっしょにめしあがれ

ごいっしょにめしあがれ

はしらどけいがときをきざむ
ちいさなやしきだんらんのいま
ただじこくをつぶやくとけいのこえだけ
きいておかおをみつめますあなたの

ああまたなにか
なにかあなた
かんがへごとをしているのですか
そうなのですかと

わたくしにどうか
あなたのいろいろをきめさせて
きめつけさせてくださいな

わたくしいがいのいろいろに
あなたはこころをなやませて
ここにはいないあなただと
うそでもほんとにおもはせて

そうそうだあれもここにはいない
いないひとならこころもいない

そうそうだからうわのそら

あなたはいつでもうわのそら
やさしいくせにうわのそら

それもけっこう
それもけっこう

わたくしなんにもわずらひません
ただただかうしていられれば

つまらぬものをたべさせて
つまらぬはなしをくりかえし
あきてもまだなおあなたにだかれ
つまらぬをんなとおもわれて

それがいいそれがいい
どうかどうかとまたせがむ

そんなをんなをあいしてくれる
やさしいあなたはいないかと

あきらめながらほんじつも
ほほえみながらてくてくと
えきへとまいり
まいりますわたくし

だれかをさがして
あのえきへ
きえさるまえにあのえきへ

ゆふがた
さびしくつかれたかおで







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2007年11月29日

特権的収集物としての蜂蜜

honey.jpg

ハチが集めた蜜が「はちみつ」ならば
マグロが「蜜」を集めたらそれは
「まぐろみつ」ということになるのだろうか。

「まぐろみつ」

「みつ」の部分でだいぶ可愛らしい響きには
なっているが、冒頭の「まぐろ」という単語が
その可愛らしさをすべて打ち消している。
やはり「はちみつ」にはかなわない。

マグロたちが「蜜」を求めて海中を泳ぎまわっている光景を
思い浮かべてみる。
荒れた大海原の波間に、
「蜜はどこだ」と雄叫びをあげては
お互いの体を激しくぶつけ合うマグロたち。

怖い。

「まぐろみつ」を漢字で書くと「鮪蜜」だ。

ああ、漢字だとなかなか。
おいしさがぎゅっと濃縮されていそうな感じがする。
寿司ネタの穴子に塗るタレとか
ああいうのを「蜜」なんて呼んでお寿司屋さんに置いてありそうだ。
ご飯は「シャリ」、お魚は「ネタ」、タレは「蜜」。

そしてその「蜜」の正式名称は「まぐろみつ」。

うーん。

用途がなんであれ、やはり「はちみつ」にはかなわない。






posted by 地図書きのゆみ at 14:12| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作文集(ひまつぶしによむよみもの) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月16日

ひよりう、地点いまかいまか

green street.jpg

車谷長吉「漂流物」を読みながら
揺られて繁華街を
列車つらぬきゆく。

てんてんてん。

うすら寂しきものたちばかり
心の焦点合わさって
そういう時節が今か今か。

巨大な中華包丁に
ざくりざくり解体の末
青白キャベツ
気づけばそんなものに似て
死んで力なく
思考は投げ出し横たわる。

あたまの中のまな板が
キャベツの下で押し黙る。
あたまの中から水が出て
木目のすきまにしくしくと
染み込みきれず溢れ出す。
まな板の上に音もなく
あたまの水が漂って。

ひよりう、
している、
みずがみずが。

いったいどこに還る気なのか、おまえ。

問えど脅せど水ものいわぬ。

水たまりはいまもういたのうえ
かんがえることだにせずひよりう

みずのそのことただただわびし

それがひよりういまかいまか

まる




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2007年10月01日

隠滅の夜

red lamps.jpg

お願い
わたしの手を握らないで
そこに
わたしの温度はないの

お願い
唇を見つめないで
そこに
わたしの言葉はないの

お願い
耳元で話さないで
そこに
わたしの心はないの

お願い

折れるほどに強く
この体を組み敷いて
わたしを探し出そうとする
芝居じみた仕草はやめて

あなたの欲しいものは
全部
あの人にあげて
いまはもうないの

posted by 地図書きのゆみ at 23:39| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作文集(ひまつぶしによむよみもの) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月30日

鏡の塔の月泥棒

masumi.jpg

夜がきた。
月泥棒と鏡の塔へ。
今宵こそ、あの天かける月を盗むのだ。

鏡の塔はJR山手線の新宿駅から徒歩3分。
なかなか栄えた場所にある。

概観はと言えば、全面が鏡で覆われており
周りの景色をそっくりそのまま映し出している。
背景と塔に映りこんだ景色の境界線は水のようになめらかで
つまり塔は、砂漠の中の砂粒がごとく、その輪郭を見出しにくい。
人目を忍ぶ月泥棒にとっては、そこがしばしば魅力らしい。

鏡の塔は地図にもガイドブックにも載っていないし
遠足やデートスポットとしても認知度は低い。
しかし、あなたが新宿駅から伸びる路地辻裏を歩いていて、
「このあたりは似たような建物ばかりだなぁ」
などと思うことがあったら、
それは知らずに鏡の塔の鼻先を通りすぎているのだし、
またその折に、楽しい連れ合いがいるにも関わらず
「世の中みんな汚れてやがる」
「街も人も壊れかかっている、ああ現代社会」
などと何故か突然に気分がクラッシュ&ダウンする
といった場合、その原因は隣の相方ではなく間違いなくあの塔だ。

あなたの視界に入った塔の鏡張りの外壁が、
ちょっと曇っていたり、表面に小さな亀裂が入っているとする。
すると、知らずに鏡越しの世界を眺めている人間には
世界そのものがひび割れ濁ったガラス板のように思われるのだ。
そしてその結果、
「おや、今日のこの世界には違和感を覚えるぞ。
なんだなんだ、この感じ。不安になるぞ、このやろう!」
などと、薄汚れくぐもった鏡越しの世界の姿に
理由なき不安感や突発的な怒りを感じてしまうのだ。

このような問題を解決するのは、
鏡の塔の軽い拭き掃除とハウス・メンテナンスであり、
厭世気分や不安感をかき消すための刹那的行為は何も生まぬこと
想像妊娠のごとしである。
くれぐれも鏡の魔力にかどわかされぬよう御留意願いたい。
ホワイエ。

さて。
そんな風にして鏡の塔は、砂と油でできた繁華街の目立たない場所に
ひっそりと息をひそめて隠れているわけだが、
もちろん月泥棒は塔の入り口を正確に知るためにある秘密道具を用意している。
このアイテムを使えば、たちどころに塔の入り口が分かってしまう
とは話に聞いていたが、
わたしも実際にその様子を見るのは初めてのことだった。

いい機会なのでその詳細を記そう。

まず、目ぼしい場所で月泥棒はそのアイテム(徳利とお猪口)を
懐から音もなく取り出す。
次にそのまま道端で、とぷとぷと徳利を傾け液体をそそぎ始める。
そして何をするのかと黙って見ていると、
ひたひたに液体で満ちたお猪口をクイっと飲み干す月泥棒。
「旨い!やっぱり日本酒だよね!!」
何を言っているのだ月泥棒。
ぽかんとしているわたしを尻目に
「近い!近いよ!」
徳利とお猪口を携えて、ずんずん路地裏を進んでいく月泥棒。
月泥棒は足が速い。
見失うまいと必死に追いかけるわたし。

後になって聞いたところ、
何でも鏡の塔は半径200mにある液体という液体を
すべて日本酒に変えてしまうらしい。
この性質を利用して、鏡の塔の位置を割り出すためのアイテムが
「徳利&お猪口・のんべえ二点セット」。
徳利の中身はただの水道水だが、もし鏡の塔の近くに居れば
注いだ水はお猪口の中でアルコールに変わっているという仕組み。
新宿駅の駅前に無数の居酒屋が立ち並んでいるが、それは
この「なぜか水が酒になる現象」に目をつけた経営者たちが
こぞって出店し続けていることが一番の理由なのだという。

ともあれ、無事に鏡の塔に辿り着いたわたしたち。
最上階、塔のてっぺんにかかっている月へと
わたしは思わず手を伸ばす。
「まだまだ。物事には順序ってもんがある。」
月泥棒はわたしの性急をキセルに詰めて、一服二服と煙草をふかす。
そんな呑気なことで、あの月たちが盗めるのかしら。
ゲストの分際でプロの仕事に口出ししては角が立つだろうと
黙っていたが、ジリジリと気持ちが焦り始める。
そう、ジリジリジリリと目覚まし時計。
月泥棒は腰からぶら下げた目覚まし時計の音を止める。
「昇りますか。」
その言葉で、月泥棒の吐いた紫煙が梯子になって塔の最上階へと
伸びているのに気がつく。
なんと。
プロの泥棒は足跡を残さぬためにこのような手段をとるものなのか。
昇りましょう昇りましょう。
煙の梯子に足かけ手かけ、昇りきったら最上階。
月泥棒とわたしが鏡張りのその部屋に侵入したそのとき。
反対側の窓の外の光景が目に飛び込んできて驚いた。
乙女の耳たぶを射抜く耳飾りのように細長い月は、
隣に立つビルのてっぺんの窓から窓へとその体を通し
大地に突き刺さったビルディングを
夜空に向かって吊り上げようとしていたのだ。
「月が油断してるうち、あるだけ失敬いたしやしょ。」
いつものことだと言わんばかりに仕事の支度を始める月泥棒。
そうか。あれは月が油断しているのか。
「たぶん暇なんでしょ。よくビルを地面から引っこ抜く真似をして
遊ぶんだな、月の若旦那。時々は本当に引っこ抜けちゃってね。」
それは一大事だ。
まあ、泥棒にとってはそんな時こそ稼ぎ時。
言われて鏡張りの室内を見渡すと、壁に床に天井に
鏡に映った無数の月がキンキンキラキラ輝いている。
風呂敷包みに月包み、さっさとトンズラこきましょう。
月泥棒は手際よく、
鏡の中の月たちを片っ端から袋詰めにしてゆく。
鼻唄まじりの職人芸。

いくつもいくつも袋の中に
磨いたように光る月
つめてもつめても夜空に光る
あの月だけはなくならず

不思議なことに、
鏡の中の月はいくらでも盗むことができるのに
夜空に赤く青く光るあの月だけは
風呂敷の中に納まらないのだ。

一体どうしたことだろう
鏡の中のすべての月は
今は袋の中なのに
ひとつ盗めぬ月がある
夜空に張り付き離れない
ひとつ動かぬ月がある

月泥棒も小首を傾げ、荷物を背負って呼びかける。

やいやいそこのお月様
そんなつまらぬ空の中
ビル釣りなんて流行らない
あたしの屋敷にいらっしゃい
毎日毎晩ピカピカに
磨きをかけてあげますよ
小粋な宴もありますよ

けれど盗人の口車も虚しく
月は夜空と仲睦まじい
棲家を変える気配なし

鏡の中のわたしなら
何百個でも差し上げましょう
けれど心は夜空とともに
この星たちと居たいのです

仕方ない。
次は星泥棒のあいつと一緒にここに来るか。
月泥棒は袋の中で楕円形に押し潰されている月を覗くと
やれやれという顔で煙草をふかし始める。









posted by 地図書きのゆみ at 00:18| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作文集(ひまつぶしによむよみもの) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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