2007年05月06日

羽石胡麻子の理不尽裁判

creep.jpg

「三蔵法師は悪くない。」

結論から言うとそういうことだった。
セキくんと私は、駅前の商店街を抜けて更に北上し、
行き先も決めずに北極星を見上げて歩き続けていた。
闇の中、
宝箱のように光る自動販売機の前でセキくんは立ち止まり、
ポケットから出した銀貨と引き換えに炭酸飲料を二つ買うと、
そのうち一つを私に手渡した。

例の喫茶店は定休日で、
私は店の周りを所在なく歩き回ってセキくんの到着を待った。
23時になるころ、
静まり返った店づたいにセキくんがやってきた。
明かりの消えた店の入り口に目をやると、
セキくんは申し訳ない顔で遅刻を詫びた。
その店が水曜定休で最初から店には入れなかったことと、
だからセキくんの到着時間は約束どおりだったし
店を締め出されてしまったわけではないことを説明すると、
セキくんは安心した顔になって、
じゃあどこかでジュースでも買って飲むか
と言って歩き出した。

歩く道すがら、
事の次第をこまかに述べて三蔵法師への立腹を
セキくんに訴えていると、真剣な顔で聞いていたセキくんは
そのうち「ううん」と低く唸ったきり黙ってしまった。
缶ジュースに口をつけて彼の言葉を待ったが、
夜道に二人分の靴音がひびくばかりの沈黙がしばらく続いた。
一人で考えていたときは軽く理不尽に感じただけの三蔵法師の
存在が、セキくん相手に説明しているうちに
私の中ですっかり糾弾の対象に変わってしまっていた。
ひょっとして彼は困ってしまっているのだろうか
と私が気詰まりな空気に弱りはじめた矢先、
ようやくセキくんは口を開いた。

「三蔵法師Aは、
君の言う通り、怒りの矛先を向けられても仕方のない
向こう見ずな奴だったかもしれない。」

セキくんは言った。

「けれど三蔵法師Bは、
案外用心深い奴で、砂漠を渡るにしたって
十分な計画と準備をしてぬかりなくやったかもしれない。」

「もっと言うと三蔵法師Cは、
荒くれ者でみんなに嫌われていたから同行の徒も集まらず、
寂しい気持ちで泣く泣く1人で旅に出たのかもしれない。」

「そうかと思うと三蔵法師Dの場合は、
越境の禁を犯して砂漠を渡ろうとしたから、
その命がけの旅についていく勇気ある人間が彼の周りには
誰もいなかっただけかもしれない。」

「そして真実に近いところでは、
砂漠に乗り込んだ三蔵法師は本当は300人くらい沢山いて、
生き延びて砂漠を出られたのが
たまたま三蔵法師Eただ1人だけだった。
そんなところなんじゃないかな。」

飲み終えたアルミ缶の真ん中をへこませて、
セキくんはこちらを見た。
何だかよくわからない内に
気がつくと私の立腹はまんまと檻の中に入れられて猫のように
おとなしくなっていた。

「胡麻子が聞いた物語は、
たぶんその300分の1人についてのお話だったんじゃないの。」

そう言われるとそうかもしれない。
どうしてそこに思い至らなかったのだろう。
自分の手落ちにどこからか反省する気持ちさえ湧いてきて、
私もセキくんの真似をして缶の真ん中を親指で押した。
私がラジオで聞きかじったのは三蔵法師Aにまつわる物語で、
そりゃ彼については少なからず反発を覚えたとしても、
そのために他の299人の三蔵法師たちをも憎く思うというのは、
お門違いもいいところで、それこそ木を見て森を見ずなのだ
とセキくんはたしなめているのだった。
セキくんらしい、なかなかいい視点からの物言いであった。
とはいえ、三蔵法師が100人いても、1000人いても、
実際の彼が無用心な寂しがり屋だったとしても、
しかしそんなことは私にとってはどうでもよいことだった。
私は、自分自身でも持て余してしまう自らの喜怒哀楽を、
こうやってセキくんに手なずけてもらうことが嬉しいのだから。
子供じみた癇癪だとあきれる人もあるだろうが、
この癇癪もまた、
私とセキくんとの間では楽しい遊具に違いないのだ。
これからもこんな風にしてセキくんの弁護により、
私が槍玉にあげる森羅万象が
有罪無罪を勝ち取っていくのだろう。
いや、正確に言うとセキくんと逢えると分かった時は既に、
私はそれらを許すことを決めている。
セキくんとの逢瀬自体が
私の理不尽裁判における免罪符なのである。

「だいぶ腹が減ってきたな。」
ふと気がつくと私たちは隣の私鉄の駅までたどり着いていた。
駅前には深夜営業の飲食店がいくつか
温かい灯を揺らめかせていて、私も空腹を思い出した。
「何か少し食べて帰ろうかな。」
顔を見合わせて私たちは店を決めた。
釈放された三蔵法師が、
夜の下で自由になっていくのがわかった。

(つづく)

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2007年04月22日

羽石胡麻子の青い事情

.

幾度かにわたる留守番電話の無慈悲な門前払いに胸を痛め、
直後の電話をとると相手はいまだ帰らぬ夫であった。
水曜日にも関わらず、現在も敵陣の真っ只中にいると言う。
「不本意ながら、あのスローガンを今夜は畳む」
そう告げて電話は切れた。
ようやくセキくんからの電話が鳴ったのは、
空腹に気づいて、
私が鍋の中身を温め始めてしばらく経ってからの事である。

こちらが尋ねる前に、
「仕事をしていたのだ」と自発的に彼は明かした。
そうだろうと知っていて何度も彼の電話を鳴らしてしまった
こちらの事情を察してはくれまいかと内心焦れながらも
仕事あがりでまだ夕食もとらず電話口にいる人間に
それを期待するのは、いささか身勝手だと自らを説き伏せた。

セキくんは昼間はぶらぶらと風来坊を気取っているが、
夜になると美術学校の薄汚れた教室で
10代の芸術家志望相手に油絵を指南しお給金を得ているのだ。
多分それ以外にも幾つかの雇われ仕事を掛け持って
風来坊らしからぬ風采に磨きをかけているのだろうが、
私は彼の私生活を隅々まで知り尽くしている
というわけではないので、
残念ながら風来坊の食い扶持について
それ以上の詳細は不明である。

「どうしたんだよ。」

私の手の中にいる携帯電話の輪郭が、
念願の彼の低い声に少し震えた。
セキくんのいる場所では
ビル風か何かがビョウビョウと吹き荒んでいるようだった。
「北風と太陽」に出てくる旅人のように
上着をしっかりと着込んで風の中に立つ彼の姿を
頭の中に描いた。
北風に凍えながら、携帯電話を握り締めている旅の人物。
実際の彼の姿をこの眼で確かめたい気持ちが
どうしようもなく湧いてきた。

「三蔵法師が腹立たしいの。」

「このまま独りで怒っていると、たぶんよからぬことになる。」

だから今すぐここに来て。

三蔵法師を弁護して。

口にしてから実際は言葉ほどでもないことを思い知る、
ということが私はよくあるのだが
ことセキくんと話をするときにはこの傾向に拍車がかかる。

セキくんは寂しい人間なので、
どんな理由であれ自分が必要であるという体裁が整えば
顔には出さぬが喜んで時間と労力とを割いてくれる。
時に理不尽な出来事に巻き込まれようとも、
むしろその理不尽さに耐える事こそが自分の存在価値だと、
そう思っている節さえある。
寂しい人間によく見られる心の癖である。
そこにつけこむつもりは決してないのだが、
私が彼との会話でついつい大袈裟な物言いをしてしまうのは、
そんな彼の性質をうまく引き出してやろう
という無意識が働くためだと思う。

彼は頭の悪い人間ではないのだが、
とかく対人関係をロマンチックに考えたがるのだ。
そのため、
時として私の無意識が不躾に彼の人柄を利用していたとしても、
彼の薔薇色の思考回路は
その事実を巧みに美化してしまうらしい。
だからいつも、
私の気まぐれに彼はまんまと振り回されている。
加害者でありながら、
彼の愚かしいロマンチズムに苛立ちを覚えることがあって
そんなとき私は彼を苛めるように天邪鬼を発揮してしまう。

そうかと思えば、彼がいつでも阿呆のように他の多くの人々に
翻弄されて日々を過ごしているのかというと
そんなことは決してないようで、
聞いた話を総じると、打ち寄せる世の大波小波を
案外器用に渡り歩いて彼は生きているのだ、
とそういうことになる。

それならば要するに、
セキくんは私のことを好いているのだろう。

私は近頃、そのように考えるようになった。
正確に言えば、私そのものではなく、
私という理不尽な存在を通じて実現される自分の必要性
というものが、彼にとって非常に好ましいものなのだ。
自分が望む色合いでできた自分の姿かたちというものを、
その目で見たがるのが人間の性である。
セキくんのような人間は特に、
それが他人の気まぐれを通してしか見ることのできぬ
蜃気楼や幽霊のような見間違いの類だとしても
その虚しさには目をつぶって錯覚したいと願っている。
ロマンチストなのである。
セキくんと私の間柄というのは、傍目には
私が彼を便利に使っているように映るかもしれない。
だがその実、使われているのは私の方に間違いないのである。

セキくんに現在の居所を尋ねられて
私は駅の反対側にある喫茶店の名前を教えた。
閉店時間の前には着けるから、と
セキくんは電話を切った。


その店は23時前にはレジを閉め、
追い出すように客を帰すので、
あまり間際では注文はおろか、店内に入れぬやも知れぬ。
化粧をする暇はなく、
シャツの前釦を留めるくらいの身支度をして
私は数時間ぶりに屋外へと出た。
星が降り風はなかった。

(つづく)


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2007年04月16日

羽石胡麻子の赤い事情

rs.JPG

晩菜のしたくを終えて、
暇つぶしにラジオを畳の上でそぞろ流し楽しんでいたのだが、
もうそれにも飽きてしまった。
「高校数学V」という番組が終わったのを区切りに、
寝そべったままの姿勢から手さぐりでラジオを探して
音を消した。
9時もだいぶ回ってそろそろ半になる頃だし、
風呂でも沸かしておこうか。
天井をうろうろと眺め、
一度そう決心してから起き上がったものの
すぐに「いや」と思い直した。
X軸とY軸に曲線Pが何箇所で交わるのか、
もしくは交わらないのか
という問題の解説を聞いている間に、
既に風呂場の湯沸しタイマーのセットを、
私は済ませていたのだ。
体が横向きから垂直になった途端、
用事ができたという目論みは費えてしまった。
何かの法則があるに違いない。
ガムでも踏んでしまったように、
この数時間、手持ち無沙汰がしつこく離れない。
ラジオが畳の上でじっと私を待っている。
仕方なくその一角獣の沈黙を解くと、
針のような銀色の角を
一段階、二段階、とふたたび丁寧にのばし、
電波をよく吸うしかるべき方角を定めてから、
また畳にごろりと横になった。
今度はうつ伏せでいこう。
仰向けで眺めていた先刻までとは別の世界を楽しむのだ。

時計を見ると、時刻は相変わらず9時半を回ったきり、
接着剤で留めたように動かない。
夫の帰りはいつもこのくらい遅いのが常であるが、
■水曜日すなわち週の半ば。
■故に日々の労働にいささかマンネリ感が生じる。
■労働意欲を刷新すべく、
 勇気を持って己が仕事から目と手を離すべし。
上記スローガンを掲げる彼は、
こと水曜日に限っては日没と競うようにして自宅に舞い戻り、
妻と食卓を分かつのを信条としている。
その水曜日なのだ。
日没の時刻もとうに過ぎているこの現在は。

夫の「労働」と「マンネリ感」の間に
何か新しい関係が生じたのだろうか。
彼を温かい家庭の食卓から遠ざけるほどの、
何かスキャンダラスな関係が。

首をひねってみてもこれという理由は思いつかず、
すじが痛くなってきたので終いにはひねるのを止めた。

ラジオは「玄奘三蔵の歩み」をやり始めている。
迫真の語りは、まるで玄奘三蔵本人のようだ。
一度足を踏み入れたが最後、生きて出られた者はなし。
砂の迷宮・タクラマカン砂漠を、
玄奘三蔵がたった一人で旅してゆくという場面。
少し聞くだけでも、彼が人並みはずれた意思と勇気と
そして体力の持ち主だということが分かった。
番組が終わると、壁時計の短針は10時に居を移すところだ。
いくら有難い経典を手に入れるためでも、
舌を噛みそうな名前の大砂漠にずかずか一人で入っていくなんて
よほど人間が物好きなのに違いない、向こう見ずなのに違いない
15分の物語に聞き入った後で、
私は玄奘三蔵の無茶な性格にあきれてしまっていた。
何が何でも無鉄砲が過ぎる。
「西遊記」では旅のお供を沢山連れていたはずなのに、
きっと置いていかれた実際の彼の弟子たちは
心配で気が気でなかったに違いない。
そんなにも大事なものだったんだろうか。
人任せにはできぬほど。
独りでゆかねばならぬほど。
彼の求めた有難い経典というやつは。
たとえば命がかかっていたら、
いまはまだ安穏としているその命を引き換えにしてでも
それでもやはり人は旅に出るのだろうか。
たとえば私は、崩れかかった心臓の壁を、
元通りにできる有難いお経か何かがあったとして、
それを求めて舌を噛みそうな名前の砂漠を
独りうろうろと旅しては見知らぬ土地で途方に暮れたり
睫毛にふり積もり視界をふさぐ砂漠の砂や、
行方の分からぬ道筋に戸惑いあえぎ、
やがては神や仏に祈るのだろうか。
豆伏先生は明言を避けたけれども、
やはり心臓の壁が崩れ切ったあかつきに私は
この世界での存在の仕方を変える必要に迫られるのであろうか。
私の崩れた心臓は、左と右の境界線を失って、
いったいどちらの手で箸を持とうとするのだろうか。
心臓で壁越しにすれ違っていた
赤い血と青い血は
間仕切りを取り去ったら、
混ざり合って紫色にでもなるんだろうか。
体中の赤と青の血液が心臓で一色に合わさって、
そうしたら私の顔色も、
あの健康ポスターの人間みたいな不自然な紫色に変わって、
それが、みっともないやら悲しいやらで、
いい年をして泣きべそをかいたりしてしまうのだろうか。
してしまうのだろうか。
想像がつかない。
ちっとも想像がつかない。
そんなことは、ちっとも想像がつかないのだ。

鍋の中の料理は、待ち人を諦めてどんどん冷たくなっている。

水曜日なのに夫は未だに帰らない。
平日の夜のこの時間というのは承知で、
私はセキくんに電話をかけた。

(つづく)











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2007年04月02日

羽石胡麻子の赤い航海図

fin.JPG

豆伏先生は、毎朝一体どのくらいの時間をかけて身繕いをするのだろう。

直接訊ねてみたことはないけれど、
お菓子職人が念入りに細工したような
優雅かつ奇妙な先生の髪型は、
きっぱりと清潔さだけをあしらった診察室には
ひどく不釣合いで、その場違いな光景が、
訪れる患者たちに不安のやや入り混じった、
呑気な気持ちを抱かせるのである。
その日も私は上着と手提げ鞄を
診察台の下の金属製のカゴにしまいながら、
先生の毛髪のドラマチックなうねり具合を間近に、
親の仇のように固く固く泡立てられた、
一塊の生クリームを想像していた。
声にせず、
「ホイップ」
という単語を、二度三度心の中で唱えてみた。
他の人はどうか知らないが、
ここに来ると私はいつもそうするのだ。

「羽石胡麻子さん。」

先生は上目遣いで、眼鏡の縁と眉の間の空間から、
光線を発するが如く物を見つめる癖がある。

「お掛けください。」

私の名前を呼んでおきながら、
先生はちっともこちらを見ようとしない。
先生の眼差しは、
壁に貼られた
「不規則な生活、暴飲暴食が原因になっています。」
という小学生の手による健康ポスターに釘付けなのだ。
ポスターの中では紫色の顔をした人間が、
不気味な色の毒リンゴを手に激しく泣きべそをかいている。
同情を禁じえない。
と、先生が思っているかどうかは知らないが、
その一心不乱の凝視を前にすると
早く診察が始まらないかと気を揉んでいる自分が
何だか随分と身勝手な人間に思えてきて、
「そんな人間でいるから病気など患うのだ。」
と暗にそんな風にさえ先生は考えて
私を責める気持ちでいるのかもしれない、
と段々肩身が狭くなってくる。

気詰まりな沈黙が、いつもの様にしばらく続いた。
ポスターに注目する医者と、その医者から目が離せぬ患者。
第三者がこの状況を発見し、
息詰まる緊張状態をほどよく緩めてはくれぬだろうか、
と部屋の奥を探る。
すると衝立の向こうで、
ナースが使用済みの脱脂綿をビニール袋に乱暴に詰めているのが見える。
その様子に、
後ろに順番待ちの患者がつかえているにも関わらず、
遅々としてこちらの診察が始まらないために、
ナースは少なからず腹を立てているのではないのか、
そんなことを考えて私は不安に駆られた。
だが、ナースの後姿は、ただ忙しいからそのように
どこか尖って感じられるだけかもしれず、
彼女が格別の苛立ちを持って脱脂綿の廃棄にあたっているか
と問うてみれば、それは私の知るところではなかった。
苛立っているというのであれば、
それは無言の行を強いられること数分。
患者の私の方であるに違いないのであった。

「あの、検査の結果はどうだったんでしょうか?」

沈黙を端から徐々に溶かしていく決心をして、
私はおそるおそる切り出した。
すると、そこで初めてこちらの存在に気がついたかのように、
先生は私を見た。
止まっていた先生の時間に、
ようやく再出発の機会が与えられたようであった。

「ひどいものでした。」

出し抜けに先生は言った。
時の再出発から5秒とたってはいなかった。
戦争体験でも語るような痛ましい口調になって、先生は続けた。

「想像を絶するような、惨憺たる代物でしたよ、羽石さん。

あんた今まで、一体どうやって生きてきたんですか。

私はそれが知りたいんだ。」

私はそれが知りたいんだ。

心の中で、私は先生の言葉を復唱した。
医者が患者に問診するにしては、語気が強かった。
そこまで毅然とした態度で、
人が「何かを欲している」と宣言する場面に立ち会うことは
初めての経験だったので、私は思わず吹き出してしまった。

すると一喝するが如く、
豆伏先生の両眼が上下に引っ張られたようにカッと見開かれた。
鼻筋をはさんで二つ並んだ黒目の部分に、
口を半開きにした私の顔が一つずつ大写しになった。
私は一瞬怒られるのかと怯えたが、
見開いた眼はすぐに悲しげに細められて
豆伏先生は深くため息をついた。

「羽石さん、あんたの心臓のことはね、
 
 私もうっかりしていました。」

長年診てきて、その間に写真の一つも撮らなかった私も悪い。

でもね、

こんな状態になるまで平気な顔してた

あんたもあんたです。

いったい今までどうしていたんだ。

心臓の話は今に始まったことではなかったが、
先生からこうも正面切って問いただされるというのは
全く初めての出来事で、検査の結果が芳しくないという事は
いよいよ間違いないようであった。
確かに心臓について、私には「当事者意識」と言うべきものが
全く欠けていた事は認めよう。
幾度か先生に具合を訊ねられた折にも、
考えなしの返答をするばかりで、
心臓のことを真摯に思いやる心がけなど私にはついぞなかった。
そしてやはり、
先生との問答から察して
私の心臓がさぞ悲劇的な状況に置かれているであろう現在も、
私は自分の心臓について
どうにも真面目に考えることができないのだ。
かと言って、
先生の差し迫った様子に調子を合わせないのも
何だか無礼な気がする。

「先生、それで具体的にどういう状態なんでしょうか?

 よくなりそうですか?」

半ば間持たせのために発した私の質問を、
「病状に対して患者が行う、献身的思案」
と先生は解釈したようだった。
医者が深刻な話をするときに押す
ボタンのようなものがあるとすれば、
その時に豆伏先生は「さらに深刻な話」というボタンに、
指で渾身の圧力を加えたに違いない。

「治療というのはまず無理です。

 おそらく不可能に近い。」

「深刻な話」をしていた時とは一転して、
感情の揺らぎを一切拭い去った、事務的な声で先生は告げた。

「あんたの心臓はね、羽石さん。

 右も左もなくなっている。

 右と左を分け隔てている心臓の中の「壁」が、

 見るも無残に崩れかかっているんです。」

壁が崩れかかっている。

そういう事は日常よくある出来事に思われたが、
それが心臓の中の「壁」となると話はまた違ってくるのだろう。
もっとはっきり言えば、今、私の心臓は深刻な事態らしいのだ。
しかし、それにしては先生が随分とあけすけに物を言うので、
こちらもあまり感情的に乱れるのもどうか、
と思われて私は黙っていた。
また実際のところ、
表立っているものを引っ込めようと骨を折るほどに、
私は動揺しているわけではなかった。
診察机の上のカルテには、
買い物をする時にもらうレシートに似た、
数字が打たれた細長い紙が貼り付けてある。
私が見てもおそらく数値の意味するところなど
分からないのだが、その分からぬことを確かめるように、
しばらくの間じっとその紙切れに目を凝らした。

「こういう事になってしまって、
  
医者の私から言えることなど何もありません。

残り少ない人生を、お好きなようにお過ごしください。

そのくらいです。」

豆伏先生の整えられた頭部から、
髪の毛が一筋、額に垂れ落ちていた。
珍しいこともあるものだ、と私はその様子をしげしげと眺めた。
カルテに、幾つかのスタンプを押して、
先生は素早く何かを走り書きした。

「お好きなようにお過ごしください。そのくらいです。」

多分、そういった内容なのだろうと思ったが、
解読する気にはならなかった。
日本語だってドイツ語だって、
あんないい加減な感じのする筆跡では読む気にもならない。

「それじゃあ、お大事に。」

壁の向こうで、次の病人の名前が呼ばれた。
私は壁の中をくりぬいている扉を開けて、
廊下への道をひらいた。


(つづく)

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2007年03月08日

羽石胡麻子の夢の模様

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「他のことはもうあきらめてるんだ。」

夢の話を終えると、目が覚めたとでもいうように、
羽石康平はきっぱりとした口調で言った。
そして、少し残念そうな顔をしてみせた。

「ただ、あの船だけはどうにか処分したいんだよ。」

消えた妻が、自分の夢の中に置き去りにしていった漂流物を
どうにか始末したいのだ、と彼は再び僕に告げた。
困惑が薄皮のように彼の顔を覆って、
話の顛末にふさわしい雰囲気を醸し出そうとしていたが、
そこから透けて見える事務的な彼の口調が
僕をひどく苛立たせた。
「処分するっていうのは?」
羽石康平の夢の中で
今なお船旅を続けているであろう胡麻子の姿が、
僕の眼前に浮かんだ。
胡麻子はおそらく浮き沈む舟を進めて
「山形」という立て札の見える陸地を
目指しているのではないか。
「俺には必要のないものだからさ。」
羽石康平はためらいなく、そう口にした。
まるでそれが、
世界中の誰もが暗黙のうちに知りうる真実であるかのように。
そして実際、目の前の男の心中は、彼の言葉そのままなのだろうと僕は確信した。

枯れた無言の荒野に

「必、要、な、い」

という事務的な男の筆跡が見えた。
その文字のひとつひとつを拾い集めて解読するまでもない。
突如出現した滝の姿も、
夫を乗せて舟を漕ぐ羽石胡麻子も、
海に変わる川岸も、
帆柱を船首に違えるだまし舟も、
羽石康平には「必要のないもの」に間違いないのだ。
その意味も中身も、興味すら湧かないのだと彼はそう宣言した。
そして、その事実を知ってか知らずか、
胡麻子は夢の滝壷に向かってなおも舟を漕ぎ続けている。

「今から私、山形行きの船に乗るの。」

「だからもう逢えないわね、私たち」

羽石胡麻子は僕にそう言った。
この世界の出口の脇にある、公衆電話の受話器越しに。
あの電話はやはり、別れの挨拶だった。
僕と、僕のいるこの世界に向けての、羽石胡麻子の絶縁状。

滝は胡麻子の絶望でできていた。
落下してゆく水流の上辺に、
胡麻子は折り紙で作った小さな舟を浮かべ、
かすかな希望を乗せて漂っているのだ。
だまし舟の謎に、彼が、目を見開く事を切実に願いながら。

羽石康平の、彼の居る乾いた大陸を割り砕いてやろう。
僕は決めた。
それが胡麻子のためなのか、自分のためなのかは、
よく分からなかった。

「舟を処分するって、具体的にどういうこと?」
尋ねると、羽石康平は少し考えてから口を開いた。

「さあ。」

「どういうことかな。」

「それを君に聞こうと思った。」

言い終わる前に、康平を扉の外に突き飛ばしていた。
殴った手ごたえはなかったが、
目の前の男が顎のあたりを手で押さえて、
小声で「殴られたな。」と呟くのが聞こえた。

僕が羽石康平を視界から消すと、
思い出したように部屋の片隅の電話が鳴った。

(つづく)
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2007年03月02日

羽石康平の舟の話

8throom.JPG

激しい滝の音から離れた場所で、
水面に小さな舟が浮かんでいる。
その姿は、液体でできた鏡の中へとなめらかにつながっており
雲が動くよりも気配なく、とろりとろりと、
だが確実にその居場所を移している。
「ねえ。」
声がして見ると、舟の上には胡麻子がいる。
そして、胡麻子と共に、舟に乗って漂っている自分がいる。
俺の顔を肩越しに見ながら、二人乗りの小さな舟の端で
胡麻子は櫂を動かしている。
その傍らに、
空の位置と平行になって、自分の体は仰向けになっている。
川岸からそびえ立つ背の高い木々が、
額縁のように両端から天空を囲み
視界の外に向かって流れていく。
「ねえ。」
胡麻子が手をとめて、こちらを見ているのが分かる。
「危ないわよ。」
なにが?
「帆柱をしっかりとつかんでいないと。」
言われてみると、
舟には帆柱が底板から空へと斜めに突き刺さっている。
帆を張るにはあまりにも華奢で
お子様ランチに立てた旗みたいに、安普請で頼りない。
そして、「危ない」という言葉を使うには、
川の景色はどこまでも静かで平穏に満ちている。
俺はつい可笑しくなって
何度となく聞いた神経質な胡麻子の口調に生返事で返す。

わかってるよ。

少しの間があって、胡麻子は再び櫂を動かし始める。
小舟は尚も、水の上を移ろってゆく。

しばらくして、
このすぐ近くに、滝があったことを思い出す。
舟の行き先を俺は胡麻子に尋ねる。
胡麻子は答えない。
返事を促して、
自分の声が胡麻子に聞こえていないことに気が付く。
少し声を大きくして、呼びかけるが、やはり届かない。
胡麻子は舟の行く先を見つめたまま、櫂を動かしている。
胡、麻、子。
呼びかけて、自分の言葉が、音になっていないのだと分かる。
言葉は俺の頭の中にだけ響いて
外側には何ひとつ、現れていない。
一瞬焦りで喉が詰まるような感覚になり、
それを振り払うようにして俺は起き上がる。
胡麻子と意思の疎通ができることを確かめようと、
舟の端へにじり寄ろうとした途端、
それまで緩やかな平行移動を続けていた舟が
突如発作を起こしたように激しく揺れる。
胡麻子!
俺の言葉にではなく、舟の動きに反応して、
胡麻子は俺を振り返る。
ほ、ば、し、ら
胡麻子の唇がそう発音したのが分かる。
更に陽気に舟は舞う。
水面は絵画のごとくに静かなのに、
とり憑かれたように小舟は旋回し
浮き沈んでは水の玉を跳ね上げる。
振り落とされまいと俺は帆柱にしがみつく。
柱は胡麻子の手首よりもか細く頼りない。
それを俺は、
両手の感覚がなくなるほどに強く握り離すまいとする。
次の一瞬、舟が落ちるように深く沈み、
頭から水の塊が降ってくる。
瞼をふさぐ水滴の隙間から、
悠然と舟を漕ぎ続けている胡麻子の後姿が見える。

ねえ

あぶないわよ。

ほばしらを

しっかりと

つかんでいないと。

何も喋らない川の水を、胡麻子の櫂が、またひと匙、すくい取る。

つかんでいるよ胡麻子。
俺はちゃんと帆柱にしがみついている。

胡麻子が小首をかしげて、俺の方を不思議そうに覗き見る。

どこが?

つかんでいるって、

それの、

いったい、

どこが?

胡麻子の瞳の奥に俺は真意を探したが、何も見えなかった。
その眼球には、水に溺れる男が映っているだけだった。
男は、巨大な船の船首の部分にしがみついていた。
溺れながら、
必死に船の甲板に這い上がろうとあがき船首まで登るものの、
しがみつくのが精一杯で、自力で助かる見込みはなさそうだった。
男は、帆柱を握り締めていたはずなのに、
気がつけば、船の外にいた。
波間に漂いながら、かろうじて、船の縁に張り付いていた。
川はいつしか海になり、やがて滝へと続いていた。

どうしてだ?

胡麻子。

どうしてだ?

高波が来て男の姿をどこかへ隠した。

「だまし舟。」

どこからか胡麻子の声がした。

「折り紙よ。」

城のように巨大な船の甲板から、胡麻子は俺を見下ろしていた。

ああ。

俺は生返事で答えると、そのまま滝壷へと落ちていった。


(つづく)
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2007年02月26日

羽石康平の夢の話

there is.JPG

羽石康平が話している間、僕はずっと彼の顎の辺りを見ていた。
音声に合わせて、彼の口の周りの皮膚はせわしなく伸縮した。
蛍光灯の光の加減で、
口の中が、入り口の形が定まらない洞窟のように見える。
僕はぼんやりと観察を続けた。
羽石康平の唇の周りに押し寄せるようにして
頭蓋を覆う大陸の一部が、山となり谷となり、
彼が言葉を切るときには小さな窪地を出現させた。
そして、羽石康平という陸地の上で運動を続ける、
その地面の内側に流れているはずの血液の温度や
分裂を繰り返す細胞のひとつひとつを
見知っているつもりの僕がこの手で確かめてみたことは
一度としてないのだった。

そんなことを考えていると、
僕の目の前にいる羽石康平が
語るべき物語で限界まで膨らんでいる一個の紙風船のように見えた。
そしてきっと
すべてのあらすじを吐き出した暁に彼は
ぺしゃんこにつぶれて、くずかごに捨てられるような、
ただの紙くずになってしまうのだ。
ゴミ箱が溢れ返る前に、誰かがそれを拾い上げて
他の可燃ごみと一緒にしかるべき方法で処分するにちがいない。
役目を終えた紙風船は、かさばることなくゴミになり、
人知れず焼却されそして物言わぬ灰の姿に安住する。
その時の羽石康平には、
確かめるべき内側も外側もなくなって、
「羽石康平」という名前だけが墓標のようにただぽつりと残されるのだろう。
消え失せてしまうこともできず、
そこに彼が居たことの目印として誰かの記憶に虚ろに漂い続けるのだ。

そんな想像が無意識に転げ落ちて、
落下したその先に、僕はあることを発見した。
それは、羽石康平という存在に関して、
自分が何の興味も抱いていないという事実だった。
僕が羽石胡麻子に対して抱かんとしている類の、
未練も執着も彼に対しては持たないであろうことを僕は知った。
目の前にいる羽石康平は、僕の友人でも、恋敵でもなんでもない。
なんでもない、という呼び名が一番ふさわしい相手だった。
羽石康平は、
胡麻子の不在という出来事にくっついてきた付録にすぎなかった。

この男は、
何故、
こんな話を、
僕に、
向かって、
喋り、
続けて、
いるの、
だ。

疑問とも思案ともつかぬ言葉が心に浮かんだ途端、
何かの合図のように、再び康平の声が聞こえだした。

「俺は」

それからの数日、滝のそばで寝起きした。
いや、
「滝のそば」という言い方は違うな。
滝と自分との位置関係はもっと厳密に定まっていたし、
そうかと言って常に一定の距離の先に滝があったわけじゃあないんだ。
こう言い換えたほうがいい。
俺は「滝がある場所」と「滝のない場所」、
その両方をこの数日、絶えず行き来していたんだよ。
入り口が違う2つの世界が、同じ場所にあるんだ。
片方の扉を閉じると、もう片方の扉が開く。
2つの世界が俺の上で、
目に見えない形で重なりながら同時に存在していた。

そうだった。
うすら寂しい室内でゆっくり目をつぶると、何度でも滝は現れた。
その度に、直前まで自分が見ていた居間の景色は、
途端に手ごたえのない夢となって自分の過去へと一瞬で押し流されていく。
そして、滝だ。
はじめのうち、
俺はそれを手の内に捉えられる一つの風景として、
自分は遠くから眺めているのだと思っていた。
どこか見晴らしのいい場所から、
その圧倒的な自然現象を飛沫を浴びるような臨場感とともに覗き見ているのだと。
しかし、何度か試すうちに俺は気づいた。

滝は、もっとずっと近い場所にある。

その証拠に
耳を澄ましてその位置を確かめようと意識を凝らした途端、
俺の口の中に濁流が流れ込み、
恐ろしさに伸ばした指先を捕らえて水草が絡みつく。
滝はもっとずっと、恐ろしいほどすぐ近くだ。
それを「眺める」などという余裕は、許されない距離にある。

命乞いに瞼を開けば、乾いた日用品にしがみつくことはできたが、
自分の描いた座標軸の中に滝の位置を定めるまでは、
自らの足下までがぐらぐらと不安定に揺れ動く。
水音すら聞こえない寝室で、
俺は滝の存在に挑みながらも、その水圧に押し潰される気持ちで夜を迎えた。

胡麻子のことは心から消えていた。

そして、夢を見たんだ。
耳の中に浮かぶ世界で。

(つづく)
posted by 2/5、地図書きのゆみ at 00:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 羽石胡麻子のまだら模様(れんさくもの) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月19日

羽石康平の滝の話

falls.JPG

俺がその船の存在を知ったのは、
ちょうど人知れず胡麻子が家を出ていった、あの日の夕方だった。

仕事を早くに上がれそうだったから、
たまには二人で晩飯でも行こうかと思って、自宅にいるはずの
胡麻子に会社の事務所から電話を入れたんだ。
受話器の小さな穴から呼び出し音が律儀に湧いたかと思うと
そのまますぐに回線は留守番電話につながった。
出かけてるのかとあきらめて俺がそのまま電話を切ろうとすると、
それを引き止めるように回線の向こう側で
誰かが受話器を取った。

「もしもし?胡麻子?」

何秒かの空白があった。

「なんだ居ないのかと思ったよ」と続けるつもりが
その手前に入るべき胡麻子の返事がないせいで
それらの言葉は受話器上空に宙吊りのまま固まってしまった。
その言葉たちを解凍すべく、
仕方なくもう一度、俺は電話口に言葉を吐いた。

「もしもし?いるんなら返事しろよ」

その、「し」「ろ」「よ」という三文字の言い終わりを、
無理やり早めろとでもいうように、突然

ずどうぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅんんんんんんんんん

何かの激しい落下音が、俺の言葉をねじ切り、耳を叩き潰した。
一瞬、四方の壁やら天井が崩れ落ちてきたのかと思って、
身を硬くして辺りを見たが
見渡しても視界のぐるりには塵ひとつ舞ってやしない。
受話器を耳に押し当てたままでいるとやがて音が戻り始めて
落下音の残響が
糸電話の向こう端にある自宅のリビングに
今なお轟いているのが分かった。

「ガス爆発か何か?」
「いいや、爆発じゃあない。ものが下に向かって落ちる音だった。」

正しくは、ものが下に落ち続けている音だったんだが。

電話口には結局誰も出ないままだし
胡麻子の携帯電話もつながらなかったから、
俺は何があったのかを確かめるために急いで家に戻ることにした。

玄関には鍵がかかっていて、胡麻子の姿はやはりなかった。
鍵を開けて中に入ると、電話があるリビングも寝室も
特に変わった様子はない。
キッチンには朝の洗い物の残りが散らかっていたが、
事故があったような気配は微塵もなく
床には潰した炭酸水の缶が薄水色のビニール袋に一杯になって
ごろごろと幾つも転がっていた。

何だったんだろう。
電話口に俺が聞いたあの凄まじい物音は。
電話回線の不具合か何かだったのだろうか。
だとしても、
俺がかけた電話は留守電から通話に途中で切り替わった。
胡麻子でないとすると、あれは一体誰の仕業だったのだろうか。
自分の見知った部屋の中にいるはずなのに、
部屋中から誰かの目がこちらを見ているような、休まらない居心地がした。
それを紛らわすためにソファーに体を沈めて
そして時折うろうろと歩き回りながら、煙草を何本か吸った。

5本目の吸い口をくわえた時だったと思う。
両の目の瞼が、縫い合わさるように自然と閉じた。
口にした煙草を落としそうになり
手で押さえたが指の間から結局落ちた。
そして、目の前に暗闇が広がるのと同時に、
あの轟きが全方位から一斉に姿を現したのである。

ずどうぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅんんんんんんんんん


これは

滝だ。

滝のしぶきが束になって、岩に打ちつける音だ。

視界は瞼に遮断されて、遠近も輪郭も何もなくなっていたが
それを補ってあまりあるほどに
水流が東西南北の高みから大地に衝突する激しい音が
俺の脳内に色鮮やかな滝壷の情景を描いてみせた。
それはどこか
自分の肉体の内側にまでつながっているかのような
不思議な眺めだった。
細長く運動を続ける透明な生き物は、
美しい液体をしぶきにして散らしながら
重力に身を任せて遥か下方の地面に衝突死を繰り返す。
幾度も幾度も。輪廻のごとく。
これはいったい、どこから湧き出したものなのだろうか。
この滝の水が、この滝の音が、この静けさを生む騒音が。

訊ねるために、目を開けた。


そこには
沈黙を決め込んだ生活空間が
じっとこちらを見据えていた。

燃えないゴミの袋。
紐でくくられた3週間分の古新聞。
買い置きのクリネックス。
端の欠けた、黄緑色のブラインド。
請求書と領収証を留めたクリップ。
サランラップをかけた朝食の食べ残し。
胡麻子が毎月とっている通販雑誌。

そして

滝の姿は
嘘のようになくなっていた。


(つづく)





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2007年02月14日

羽石康平の船の話

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羽石康平が現れたのは、
胡麻子の電話が切れて数日後のことだった。

正確には、「山形行きの船」のことを考えながら僕が部屋の戸締りをしていると背後から、羽石康平のくぐもった声が先に降って湧いたのだが。
その日も羽石康平は相変わらず、眼を凝らさなければ周りの景色に溶けてなくなりそうな、 主張のない色を着ていた。
羽石康平という男は、
自分の存在を際立たせて周囲と区別するような色彩というのを全く身につけない。
そのせいで、少し眼を離すとたちまち周りの風景との区別がつかなくなってしまう。 その傾向は雑踏の中では特に顕著だ。
大なり小なり奇抜な出で立ちで街を歩く胡麻子とは対照的である。羽石胡麻子のどこかいびつな、人目を引く派手な服装は、
雑踏の波間に溺れ死ぬまいと助けを呼ぶ叫びにも似ていて、
今思うとその様子はどこか切実だった。
金魚のようなワンピースだとか、骨董品のように老獪な帽子は
身に着けている胡麻子にとって、救命胴衣とおんなじなのだ。
本人にとっては微塵も好ましいものではないのに、
命には代えられず嫌々身に着けているにすぎない。

康平は自分を風景の中に塗りこめてしまうことに安穏を見出す男だ。
そして、
「胡麻子が恐れるものから自分は永遠に自由である」
康平にはそんな余裕さえ感じられた。
羽石康平と僕とは、
無記名になってしまえる自分を好むという点では
非常によく似ていた。
唯一つ違っていたのは、
「胡麻子の恐れる何かと、自分も決して無縁ではいられないのだ」
僕が彼女といるときに漠然とそう予感していたことだと思う。
そして時々、胡麻子の泳がねばならない切実を、
僕はわが身に映して彼女の精神の消耗を思いやった。
彼女のいる場所と自分の安穏の居所とは、薄皮一枚で仕切られている同じ井戸の底に過ぎないような、そんな気がしたからだ。
僕や羽石康平は、
その暗闇の冷たさの死角で安心しているうつけ者なのだ。
胡麻子とそんな話をすることはついぞなかったが、僕がひそかに抱いていた形ない共感のおかげで、彼女の夫よりもほど近い場所に、僕は立っていられたのではないかと
今、そう思う。

羽石康平の顔を間近で眺めるのはしばらくぶりだった。
考えてみればそれもしごく当然のことで、
胡麻子と深くなるほどに、気まずさが康平との関わりを長らく遠ざけていたのだった。
顔を合わせなかった時間がそのままお互いを隔てる距離に変わり、そしてやがては深い川となって二人の間に流れていくのが見えた。
橋のないその川岸にたたずんで、僕は対岸の康平に視点を据えた。
超えられない距離感が、それを可能した。

膠着した遠近の向こう側で、羽石康平は発言する。
「元気そうじゃあないか。」
水面を跳ねる小石のように、言葉がいくつかの段階を経て、こちら側にやってくる。
「胡麻子のことは、知っているとは思うけど」
罠のような一言が飛んできて、僕の思考は一瞬眼をつぶった。
自分の思惑がアメーバのように出口を探し始めているのが分かった。

「実はね、処分に困っているものがあるんだ。」
「あいつがね、俺の家に捨てていったんだ。」
俺の、家。
「いったい何だと思う?」
「船だよ。船。」
「びっくりするだろう?」
「あいつが、あんなものを隠してたなんて。」

「船。」
僕は水浸しの東京湾を想像し、胡麻子の船の隠し場所について
考え始めていた。

(つづく)




posted by 2/5、地図書きのゆみ at 14:32| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 羽石胡麻子のまだら模様(れんさくもの) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月13日

羽石胡麻子の空の模様

gomako.JPG

「今からわたし、山形行きの船に乗るの。」
だからもう逢えないわね、私たち。

電話口の向こうから、
北国へと旅立つ人間たちの右へ左へひしめく音がしている。
鼓膜を力ませるまでもなく、聞こえてくるその音源はまず間違いなく東京駅であった。
「シャンプーを買いに付き合って」
前の日の晩、
僕が珍しく仕事に出ている時にそんなメールをよこすと、
ふいに胡麻子は僕のアトリエを訪ねて来たらしい。
そしてアトリエの主が留守なのをいいことに、
彼女は室内を舐めるように物色し、僕にとっては金品に相当する貴重な品々をごっそりと持ち去っていったのだ。

「細胞単位で捉えると、私はここより北国の方が好きみたい。」
その次の日の電話がこれである。
始めは何かのおふざけだと思っていたものの、まだ入り用の画材や生活必需品(それこそ石鹸やらシャンプーだとか歯磨き粉の類)をことごとく奪われた僕は、少なからず彼女に腹を立てていた。そこに来て、この突然の乗船宣言だ。
「山形って、いったい何しに行くんだよ。」
まっとうで、率直で、何のひねりもない愚鈍な質問を僕は彼女にぶつけるはめになった。受話器をいったん耳からはずした胡麻子が、そんなこともわからないのかとあきれてみせる代わりに大きく息を吐き出す様が電話線を伝って、僕の脳裏に像を結んだ。
その連続写真は続けざまに、
まるで誰の目にも勝敗の明らかなゲームを、
負けたことに気づかない僕だけが延々と続けているかのような、そんな滑稽な絵を心に浮かびあがらせる。
それでも僕は、どうしても確かめずにはいられなかった。
彼女とのゲームに勝敗のついた決定的な瞬間を。
そして、果たしてその瞬間が、動かしようのない結末へと、
既にその身を固めてしまっているのかということも。
胡麻子との関係について僕が楽天的な空想を楽しんだことは、
抜き差しならぬ二人のバランスゲームにおいて、果たして油断に他ならなかったのだろうか?もっと言えば、お互いの力関係を操縦できる類のものだと僕が思っていたこと自体、そもそも僕の大きな見込み違いで、最初からサイを投げるのも幕を引くのも彼女の気持ちひとつだったのだろうか?
そしてその答えは、覇者である胡麻子が、
いま無造作に指先で弄んでいる。
その手から解答を奪い取って、中身を確かめてみることが
僕にとっては宝箱を開けるのに等しいのだとは、
彼女は考えもしないだろう。あるいはそんな僕を知りながら、
その必死な形相にすっかり興ざめしているのかもしれないが。
僕は、能無しのように同じ言葉をつぶやく。
君は、いったい何をしに山形に行くのか?

「別に。免許とりに行くだけよ。」

その直後、電話が切られた。
結局、たかだか40秒のやりとりで僕たち二人の関係は時間軸から消えた。
僕はこれまで30数年生きてきて、あんな風に唐突な電話の切り方をされたのは、後にも先にもあの東京駅からの電話だけである。
電話の向こうの胡麻子に向かって伸ばしかけていた思案の糸も、同時にぶつりと音を立てて途切れた。
まるで排泄を途中で無理やり止めさせられたかのような、
生理的な不快感と感情的な屈辱感が、後々まで長く尾を引いた。
そして混乱に混乱で栓をして捨てていった胡麻子に対して、
僕は怒った。但しそれは、僕の感情的な動揺を引き起こした一連の胡麻子の行動についてではなく、胡麻子が最後まで僕の心事について何の頓着もしなかったその無関心に対しての怒りである。
もう逢わないつもりならば、
どうして最後に電話をかけてきたのか。
別れの言葉をあつらえるつもりだったのか。それならどうして
自分の言葉尻が僕の頭の中で意味を結ぶ前に電話を切ったのか。そもそも何だ。免許をとりに行くって。北国が好きだなんて、
嘘ばかり言いやがって。
僕のアトリエは寒いから外に居るほうがマシだったなんて、
雨の中震えながら僕を待ってたりしたくせに。

免許をとりに山形へ行く。だから僕とはもう逢えない。
そんな気遣いめいた胡麻子の嘘は、僕への優しさなどではなく、手切れの面倒を避けるための社交辞令にすぎない。
そんな形で終わらせなければならないような、粗雑な関係だったのだろうか。僕は考える。そしてハタと気づく。

東京駅から、山形行きの船は出ていないことに。

(つづく)




posted by 2/5、地図書きのゆみ at 01:29| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 羽石胡麻子のまだら模様(れんさくもの) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月04日

羽石胡麻子の青い模様

here.JPG


羽石胡麻子に話を戻そう。

彼女の得体について思いを巡らすことは少なかったとはいえ
羽石胡麻子という存在を、僕自身がきちんと確かめられる形で自分の領土の
どこかに位置づけたいという気持ちは常に働いていた。
それは彼女との関係において、
どのくらいの力加減で、あるいはどっち向きのベクトルで
自分が裁量をふるえばよいのかを把握していたいという
ごく自然な動機からだった。
単純に見れば、
僕と彼女の力関係は、ぴったりと均衡を保っているかのように静かだったし
どちらかがその手を引っ込めれば、ほどなくそこに発生していた重力は
立ち消えるかのように薄い関わり合いではあった。
しかし、それでも尚、
いざという時に舵を取りあぐねるのは自分だという根拠のない予感が
彼女という存在の厚みを測って確かめるように、僕を促した。

これという理由もなく、僕のアトリエに彼女を招き入れたことがある。
僕が扉を閉めたとたん、一瞬で部屋の様子に飽きたのか
「寒い」とだけ彼女は口にした。
確かに壁に飾ってあるのは殺風景ばかりで、床に散らかした画材などにも
羽石胡麻子の興味を引きつけるだけの魅力はないようだった。

その時以来、時々きまぐれに彼女は僕に抱かれたがったが
僕と彼女が寝ることも、何ら二人の関係性を変えるものではなかった。
それよりも僕にとって重要な発見だったのは、
僕の前で裸になったときの羽石胡麻子が、およそ羽石胡麻子らしからぬ
凡庸で無個性な、ただの肉体になってしまうことであった。
あるいは彼女は、常日頃から凡庸で無個性な、
ただの肉体に他ならなかったのかもしれない。
だとしたら、
そこに勝手な色づけをして正体不明という隠れ蓑を着せているのは、
僕の願望まじりの思い違いである。

けれど、
思い違いと片付けるには、やはり不可思議な女なのである。
あの羽石胡麻子は。
それというのも、衣服を脱いだ羽石胡麻子がそのときにだけ
羽石胡麻子という時間をピタリと止めてしまったかのように
誰でもない、僕の見知らぬ女になってしまうからだ。
文字通り、その顔すらもさっきまでの彼女とは別人なのである。
かといってそれが
誰かほかの名前を名乗って生きている実在の人間のものとも思えず
ありふれた形の温かい抜け殻に、早く羽石胡麻子の面影を取り戻そうと
僕はまるでレスキュー隊員のように必死な思いで彼女を抱くのだった。

そして服を着れば、女は確かに羽石胡麻子なのである。

「康平が」
という言葉を始まりの合図に、
僕の友人の家庭生活における不手際について彼女は訴える。

羽石康平は、羽石胡麻子と穏やかな家庭生活を送るために
二人の住居を清潔に保つよう昼に夜に努力している。
週末に時間ができると、夫は主婦の仕事を買って出る。
掃除機や洗濯機を駆使しては、日々の生活に降り積もる埃を拭い去り
皺寄った夫婦の一週間にアイロンをかけて、その折り目をピンとただす。
「ほら、きれいになったよ。」
清めの儀式を終えて得意気に笑う夫に対して、
羽石胡麻子はそんな時、マグマにも似た憤りを覚えるそうだ。

「あんなの、ちっともきれいじゃない。」

まるで嘘をつかれているような気分になるのだと彼女は言う。
掃除機をかけた部屋は依然として雑誌が散らかっているし、
洗濯物というものは本来、
ひとつ残らず畳まれて整然とクローゼットに収まっていなければならない。
目障りなものが視界からひとつ残らず滅びて初めて、
「きれい」という状態が成立する。

「それなのに、あんなのできれいになったなんてよく言えるわよ。」
彼女の言葉を借りるならば、
「100円の品物を、財布の中にちょうどある99円で買えると思っている」
ような、夫の適当さと爪の甘さが許せないのだそうだ。

康平に限らず男なんて大体そんなもんだよ爪なんていつも甘いんだ
そんな風に僕がたしなめると、
羽石胡麻子は持参した不服を、細い指先で小さくちぎり捨てながら
「かばうなんて優しいのね」とかそういうことを僕に言う。
困惑から出る僕の言葉は、いつしか彼女の不機嫌を中和するらしく
彼女は僕の顔を満足気に見渡す。
そんな時、
僕の言葉の背後にあるのが、優しさでも何でもないことを
彼女が知っているのかどうかを僕は思案し、
そして結局目の前の羽石胡麻子は、
僕の気遣いの内情などについては全く無関心なのだろう
という結論にいたる。

そして、少なくとも彼女が望むだけの几帳面さと、
片手落ちにならない程度に家事の腕を磨いてきた自分に
僕は少し安心するのだった。
そんな時の自分はまるで、
羽石胡麻子という人間に気に入られたがっているみたいだった。
そして、実際にそういう希望が少なからず芽生えていたのは明白だった。
案外今よりもっと座りのいい関係に向かって、
二人は転がり始めるのかもしれない。
その頃の僕は、よくそんな空想を楽しんでいたのだから。

思えば羽石胡麻子にまつわる空想は、手ごろで適度に奥行きが読めず
そして何よりいつも楽しかった。

空想は、円周率のように際限なく、いつまでも続くかに思われた。

羽石胡麻子が、自分の運転免許をとると言い出すまでは。


(つづく)
















posted by 2/5、地図書きのゆみ at 20:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 羽石胡麻子のまだら模様(れんさくもの) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

羽石胡麻子の赤い模様

her.jpg

羽石胡麻子は長らくの友人であったが、
その正体は結局のところ、分からずじまいである。

正確を期すならば、
彼女と僕は彼女の夫である羽石康平を介して知り合ったのだが
この際その出会いについての詳細は省くことにしよう。
僕がここに記したいのは、羽石胡麻子と僕がいかにして別れたか
その経緯についての記録と考察である。

ともあれ、
会社員の夫に比べ、自由業の僕のほうが彼女にとって
何かと融通のきく相手であったことは確かだ。
運転ができないからと呼び出されては市街へと買い物に出かけたり
「ヒトデに触ってみたい」という彼女の申し出に
閑散とした平日の水族館をぶらついたりと、
まるで子守でもするような心持ちで
当時の僕は彼女の暇つぶしに付き合っていた。

羽石胡麻子は本当のところ何歳なのか、僕には見当もつかなかった。

真っ黒な外套を着て煙草をふかし、
町医者が持つ往診鞄のような仰々しい荷物を抱えて現れたかと思えば、
ある時はサンダル履きで、小学生でも買わないような
安物の手提げ袋をぶらさげて駅前に突っ立っていたりする。
珈琲も飲めないくせに、いつもすぐ純喫茶に入りたがる。
そして、「注文できるものが一つもない」と
悲しいような不満気な態度で席を立つのだ。
その後ろ姿を、僕はいつも追いかけなければならなかった。
店の外でふて腐れている彼女に、
自動販売機で炭酸飲料を買ってやるのが僕の役目だったからだ。

いったい幾つになるんだ、とあきれて言うこともあったが、
そこで「今年で○歳になるの」などと
真面目くさった答えが彼女から返ってくるはずもない。
まして、彼女の年齢なんて僕にとってはどうでもいいことだったので、
あえて確かめることもしなかった。
彼女に会わなくなってからも、
その生きた年数を改めて康平に訊ねることは憚られて
そして今日まで過ごしてしまったが、
それが羽石胡麻子の正体を曖昧にしている理由のひとつには間違いない。

羽石胡麻子は、自分の気分をすぐ口に出す女だった。
「疲れた」とか「お腹がすいた」などという身体的なことに始まって、
「つまらない」だの「あっちが見たい」だの「腹がたつ」だのと
感情や欲求をまるでその舌先で思いついたかのように、
すぐに言葉に変えて僕に投げてよこす。
そしてそんな彼女の性質が、僕には随分と心安かったのだと今にして思う。

僕が美大の時から付き合っていた恋人の秋は、
羽石胡麻子よりはるかに思慮深く、大人然とした気遣いをする人間だった。
けれど、そうした気遣いは時折、その裏でゆらめく秋の本心を僕から遠く、
海の向こうにでも引き隔てる分厚いバリアのように鬱陶しく感じられた。
実際のところ、秋にそんなつもりはなかったのかもしれない。
けれど不精者の僕は、
海を渡っていかなければ見定められない恋人の心模様に、
何年かの歳月をかけて、ゆっくりと興味を失くしていった。

羽石胡麻子が去った後で、
秋に手紙でも書きたいような気持ちになったことがある。
しかし、そのときは既に「海の向こう」どころか、
海岸線すら地図からは消えてなくなっていた。

仕方なく、僕は手紙を出すのをあきらめた。

(つづく)
















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