2015年02月06日

出口なき天麩羅戦争

bookcafe.jpeg

天麩羅戦争が起きてもう五年がたつ.
五年と言えば目まぐるしく移り変わる現代社会においては卑小ながら歴史年表上のひと塊とみなせる歳月である.

とかくこの五年間で世の中は回転した.
乳飲み子は飛び回り,内閣は爆発し,海の向こうからは新しい陸地が現れて,ただし戦局だけが不案内なままと与太与太と,歴史の最先端に陣取って動かずにいた.

天麩羅戦争の全体を知る人は決して少なくなかった.
インターネット回線の普及や地上デジタル放送の整備によって高められた
この国の情報配給システムがそれを可能にしたのだ.

だから,あの一連の出来事が戦争と呼ばれる一国の大事に至るまでの経緯を国中が漏れなく視聴していたことは改めてここに記すまでもない.
それは今となっては歴史的瞬間と名を冠せられ,世界人類共通の思い出となりつつある.

しかし,その情報共有の事実が膠着した現在にいたるまで何ら利益たりえなかったこともまた明らかだ.
むしろ今となっては,誰もが国の政治屋と報道係たちに事態を隠蔽してくれることをすら望んでいる.

あの開戦直後から五年間,天麩羅と名のつく代物は調理販売は勿論のこと,一般家庭の食卓においてすら咀嚼を禁じられて,天麩羅戦争にまつわる公明正大な情報公開が,国民生活をさらに不自由な出口なきものに追い詰めている.
posted by 2/5、地図書きのゆみ at 20:55| 東京 ☀| Comment(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月21日

ファンタジーについて

ここに記すのはファンタジーについての記録だ。私の人生とそこに出てくる登場人物たちを飲み込んでいるファンタジーについて。その記録。備忘録。不正確かもしれない幾つかの出来事についてのごく個人的な私の感想と意見。分析のための分析。忘れないために幾つかの考えを削除し、いくつかの考えを取り置いて残すこと。
ファンタジーとは何か、あなたはご存知だろうか。それは頭の中の避難梯子だ。登る前と、終わりまで登りつめた後では、目に見える世界が確実にすっかり違っている。それがファンタジー。視点を移動するための避難梯子。
私以外の多くの人はその梯子を登る前と、登りきった後、その二種類の景色しか知らないんじゃないだろうか。あるいは梯子の存在自体に無知なまま、せいぜい数メートルかそこらの物理的な目線の上下のうちに一生を終えるのではないだろうか。時々私はそんな風に考える。そしてむしろその方が自然なことだとも思う。
なぜならその梯子には高さというものがないから。方向というものがないから。登り切るまでの時間も体力も必要としないから。
梯子はただただ、そこにある。手を触れることのできない頭の中の暗闇にそっと音もなく立てかけてある。はじめから終わりまで。時々は見えて、時々は見えない。そして、梯子を登る前と登りきった後。ファンタジーはそれらを分け隔て、そして同時に結びつけている。
私が試みようとするのは、ファンタジーそのものについて考えることだ。いや、思い出すと言う方がこの場合正しいのかもしれない。ファンタジーの目的や機能やその結果ではなく、ファンタジーという緩衝地帯のグラデーションをここに記してみること。
そう。グラデーション。ひとつひとつの異なる段階。その段階に応じて変わる世界の色味。それらを目に見えるまま、どこまでも丁寧にここに転写していく。
もしもファンタジーという言葉がこれを読むあなたに多少の混乱をもたらすのなら、それを何か別のものに置き換えてもらってもかまわない。雨傘でも、スリッパでも、冷蔵庫の中の野菜ジュースか何かでも。さっきから私が繰り返している避難梯子。それが一番いい例えだと思って持ち出してきたわけだけれど、それでは色気がないというなら、例えなんて何だってかまわない。
私は雨傘について、スリッパについて、冷蔵庫の中の野菜ジュースについて、ここに記録しようとしている。それらは存在することで結果的に2つの世界を生み出し、それ以前とそれ以後とでは世界はまったく違って見える。
やはりこの方がわかりやすいのかもしれない。単純な響き。回りくどくない。ファンタジーなどという曖昧で意味のない単語を持ち出してくるよりも。そう、この世界の多くのものは整理され、名付けられ、わかりやすく並んでいる。どこだってそうだ。「あ」から始まり「ん」で終わる。それが普通で平均で常識なのだ。いちばん効率的だとされるやり方。
しかしわかりやすいもの、単純なもの、すでに形あるものについて、改めて私が記録する必要などない。誰もがすぐに「あれのことか」と頭に浮かぶ事柄をこの手でなぞること。反復すること。確認すること。それらはまったくもって必要がない。悲しいくらい私には必要がないのだ。
だからやはり、これは「ファンタジーの記録」でいいのだと思う。あなたは混乱したまま、避難梯子の始まりでもなく、終わりでもない場所から見える眺めを写した私の言葉たちを落ち葉のように拾い集める。おそらくむずかしいことではないと思う。それは私があなたたちの世界を知ったのと、たぶん同じやり方だから。
posted by 2/5、地図書きのゆみ at 22:35| 東京 ☀| Comment(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月14日

わたしの夢十夜、向島百花園でごろ寝

夢うつつ.jpg

嘘ばかりついているからという理由で、名前をとられた。
とられたのが名前だったのは少々意外な感じで、困ることもないだろうと3年ばかりほったらかしておいたけれど、一向悩ましいことも起こらない。あいかわらず嘘を売り売りして暮らしている。
ところがある夕暮れに、晩菜をつつきながらごろごろとしていると人がやってきた。こういう人を探している、と玄関先で紙切れを取り出して見せてくる。
住所の番地から何からすべて我が家のこの部屋に相違ないけれど、名前だけが不確かなので、仕方なくそのようにこたえた。
相手は変な顔をして、じゃあこの部屋の大家さんにでも聞いてきますから、と引き上げていく。やれやれと思って、自分はまたごろりと床に転がった。

それから幾日かして、大家とその人がまたやってきた。ふたりとも少し様子がおかしい。けれど、気にしても仕方がないので何も言わなかった。
こないだの人があの時の紙切れをまた目の前にひらひらさして、これはあなたとは違うのかと同じことを聞くので、名前のところだけは自分でもはっきりしないのだ、とこちらも同じ答え方をする。
すると、その人は大家と顔を見合わせて、ほらね、という具合に目配せをする。こちらとしては正直にありのままを言ったまでだから、何もやましいことはない。ふたりはまずいものでも食べたように口を曲げて押し黙っている。
「いや、そういうことになると、いろいろ不都合が出てきますよ」
大家はこちらが言ったことを疑っているようだ。隠しごとをしてもお互いに何の得にもならないのだという口ぶりである。あんなにはっきりと言ってやったのに。よく知らない人の方は、こちらの肩越しに部屋の奥をちらちら覗いている。狭い部屋だから見るほどのものはない。
「不都合とは何です」
まさか名前がないというだけで部屋を追い出す気なのか。そう思ったら、何だか急に腹が立ってきた。自分は嘘つきではあるけれども、家賃をごまかしたり、払いを滞らせたことは一遍もない。この際だから、何が不都合なのかはっきりさせておく必要がある。

こちらが喧嘩腰になったのを認めると、ふたりとも急にひるんだ。おまけに大家は部屋を追い出すつもりなど毛頭ないと言う。それならば何の用かと問いただすと、今度は大家が紙を出してきた。先日の紙切れに比べると、だいぶ古びている。
折りたたまれたものを広げたら、そこに我が家の住所と誰それという名前が記してある。先日見せられた紙切れと同じ名であるから、その名に何かあるのであろうと直感したら、自分の怒りもおさまってきた。
「そこに、そら。その人の大家、と書いてあるでしょう」
大家が指差した紙切れのはしを見ると、たしかに住所と名前のあとに、「右に記す人物の大家」と朱書きしてある。
「それが、わたしの身分というか、目印でして。あなたがその人でないとなると、わたしはじゃあ一体誰の大家なのか。わからなくなって困るのです」

聞けば大家も紙を持って訪ねてきた人もまた自分と同じく名無しであった。最初にやってきた人の紙には、大家の紙と同じように、住所と名前のその脇に「右に記す人物を訪問する客」とある。
ふたりともあんまり悲愴な面をして、事情を洗いざらい打ち明けると玄関先に突っ立ったまま、黙りこくって動かない。
名前をとられるというのは、つまりこういう仕打ちなのか。自分はそこでようやく合点がいった。
posted by 2/5、地図書きのゆみ at 15:04| 東京 ☀| Comment(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月18日

明るい星と家庭教師

trapist.jpg

じっさい宇宙人のことばかり考えている家庭教師はそんなにそうそう多くないのだろうとあなたが思うのならそれは大きな間違いで、やはり宇宙人のことばかり考えている家庭教師というのは世間一般に認知されているのと同じかそれ以上のかなりの人口にのぼっているし、彼らの大半はむしろそのために家庭教師をやっていて、それができなくなるくらいなら何のための家庭教師なのだと思っているし、その特権的自由を取り上げられるような危機が訪れようものなら、それこそ家庭教師権の侵害だ迫害だと家庭教師的正義を掲げて行進したり火炎瓶をそこらへんに投げつけたりといった強硬手段に出る人間はおそらく相当な数にのぼることだろう。それらのことははっきり言って、私のように常日頃家庭教師とごくごく身近に接している人間にとってはまったくもって易しすぎる方程式だ。

「しかし家庭教師とひとくちに言っても、いろいろな奴がいるだろう」という一部の(そして自分の知能が人並み以上だとさりげなく誇示したがる輩にありがちな)天邪鬼な見くびりがどんな事態を招くのか。まだ見ぬ未来の後日譚の苦々しさ。それさえも、私には預言者よろしく肌身骨身にびりびり沁みて頭にきているこの頃なのだ。

人生は暗い。
それでいいじゃないかとホトケが言った。
人生は明るい。
ときどき暗くなっても、まあいいじゃないかとカミはそう唱えた。
しかし人生が明暗のグラデーションで支配されることに苦痛をおぼえた人間は、自然なる明暗を廃し、電源スイッチを導入した。電源スイッチはオンにすると小さなランプが赤く光る。それを見て人はおお、と声を上げた。これでもう好きな時に明るくも暗くもなれる。そう気づいたのだ。

そうして手に入れた明るさも暗さも、単純に短期的な気分を味わうことができる、というそれだけことだったが、しかし気分は大事だった。暗くなれば点けて、明るくなれば消して、点けたままでも消したままでも特に文句は言われなかったし、むしろ電源スイッチの活用は善きこととして奨励された。
かくして人生はつまるところ明暗による気分の集合体なのだという、いささか単純すぎるけれど本質をつらまえた認識がしだいしだいに世界に水のように浸透していった。
そして、自然なる明暗の消滅とともに、それまでほの暗く、そしてときには明るいものとして確かに存在していた人生という一塊の物体は消え、それについて何事かを考える、などという雲をつかむような所業は、もはや不可能な、手の届かないものとして人々の生活からすっかり失われてしまったのである。

それが幸か不幸かはわからないが(私がこんなことを言うと、幸不幸でものごとを語るのも自然的明暗時代の名残りであるよと老人たちは目を細めるだろうけれど)、そう、ともかくそんなふうにして、世界に家庭教師が誕生したわけである。
posted by 2/5、地図書きのゆみ at 14:35| 東京 ☁| Comment(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月19日

熱血!マサチューセッツお味噌汁大学

universite.jpg

本日の講義はとてもエキサイティングなものになると確信しています。
人類の過去、未来、そしていま私たちが生きるこの現代を見つめ直すための貴重なワークショップとなることでしょう。
お味噌汁が人類史において発揮してきた類まれなる功績について。
みなさんと私とで即興のディスカッションを行い、そこに新たな意味と、今後の展望を見出すことで、我々がよりよく生きていくための一助としたいと強く願っています。

ではさっそく。

そもそも、みなさんにとって、お味噌汁とはいったいどういう存在でしょうか。
神でしょうか。悪魔でしょうか。
この世のすべての創造主。それもよくある回答です。
最近では、「宇宙はお味噌汁である」などという学説もかなり有力になってきていますね。
たしかに。
お味噌汁にはそういった一面も確実にある。
しかし、そういった使い古された模範解答を、今日この場で持ち出すことは控えておきましょう。
まだ若い皆さんの中には、お味噌汁を必要以上に重大なものとして捉えるか、もしくは神の不在を高らかに宣言するがごとく、お味噌汁などそもそも存在しないのだ。ネス湖のネッシーやバットマンなどと同じく、人類のフィクション欲の産物だ。そんな具合に、極端な意見に偏る傾向が多く見られます。
もちろん、たしかにそれらも、お味噌汁(正式にはオミソシールですが)の解釈のひとつとして、けして間違っているとは言い切れません。
むしろ圧倒的な正しさと真実とは、そのように直感的でひどく偏って見える解釈のうちにあるように、私などは思います。

ともあれ、せっかくの機会です。
本日はもう少しだけ違った角度から、お味噌汁を今までにない座標へと位置づけ、再定義してみようではありませんか。
その材料として、最初に私がここ何年か研究を続けてきた中で、お味噌汁について改めて疑問に思ったことや、「これはひょっとして」と思われる仮説をいくつかをみなさんに紹介しますので、それらを議論のたたき台にしてもらうとしましょう。

まずは、古代エジプト文明におけるナイル河の氾濫。この原因がお味噌汁であったとする学説について。
スライド1を見てください。
posted by 2/5、地図書きのゆみ at 10:09| 東京 ☀| Comment(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月18日

あたらしい皮膚について相談をしよう

カラフル.jpg

離縁してからしばらく、時間や貨幣の使い道について何か右往左往する期間が続いていた今年の下半期であるが、ようやく地に足が着いてきたような、手がかりが見つかったような、そんな気分で百貨店やその路地裏の喰いもの屋なぞで散財しては、暇をつぶす近頃である。

数年に及んだ私の婚姻期間というのはすこぶる目的意識に満ち満ちていたが、今にして振り返ると、はて、その強靭なる鉄の目的目標は、いったい誰のものだったのか。
それが判然としない状態でも生活という歯車はよく回るもので、よく回るからそれが正しい暮らしぶりだとそのように信じ込むことで、私は数年をことさらに幸福な人間として生き、気づかぬうちに不幸にもなれた。

自分への詐欺が破綻した本年は奇しくも後厄であり、私をまるごと飲み込んでいた生活自体の解体作業にいそしむこと数カ月。
何の役にもたたぬ労働があるとすれば、それはこの作業なのではないかと「徒労」の2文字を頭に描きつつ、しかしこの幸福詐欺の加害者もまた自分自身であるとすれば、何とも生やさしい刑罰であろうかと気を取り直すこともまたひとつの作業であるのに変わりない。

カウンターの内側に閉じ込められた白粉まみれの女たちが、まるで吉原。まるで品川。
気が付けば私は、廓の匂いの立ち込める新宿伊勢丹美顔売り場にいる。
化粧屋の売り子の齢を推しはかりつつ、その塗られた皮膚の内側に彼女たちの生活を想像し、匂いまでもそっとかいでみる。
女にとっての常備薬だとばかりに、「必需品」とラべリングされた売り物の小瓶は、私もまた一人の女であることを裏付けて際立たせ、ともすると忘れていた記憶までも掘り起こす。魔法の薬。
白粉の香りや、乳液の甘さ。
生活のために諦めた艶々光る香水瓶。
似合わないよと夫が笑った頬を塗るための化粧筆。

禁止事項ではないからこそ、それは手出しのできない贅沢なのだと自分の身の程を思い知り、つましい暮らしに甘んじていた過去の自分。
そして、そのあきらめこそが幸せの仕組みを担う肝心要であったことは確かで、ただしそれが誰にとっての幸せか。それを見ようとしなかったことが、私の落ち度であったらしい。
差し出した手の甲が濡らされて、売り子がやさしくそのあたらしい皮膚を撫でている。

※そういえば、太宰治の短編『皮膚』はとても素晴らしい作品です。
みじめな女とつまらない男がお互いを思いやる、愛とはつまり、みじめでつまらない思いやりなのだと気づかされてしまう、そんな物語。
『皮膚』を書いた人だから、なんとか太宰が好きなのかもしれません。
posted by 2/5、地図書きのゆみ at 16:34| 東京 ☀| Comment(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月13日

そうだ、マジカル・リサイクル・サービスを呼ぼう。

meltingplace.jpg

マジシャンになりたいと思ったことは一度もない。
タネとしかけを育てるのにずいぶん骨が折れると子どもの時から聞かされていたし、ほとんどお手本に近い失敗例を間近に見ながら育ったせいだ。
僕のパパンは生まれて1時間もたつともうマジシャンになると言い出して、子どもの頃からその欲望に周りの人間を巻き込んできた。結局は運と才能に恵まれていないことが段々わかってきたのだが、パパンはそれでも人生のかなりの時間を費やして、マジシャンになるべくもがいていた。
(彼はマジシャンに敬意を表して、それを「マジッシャン」と発音した。僕はどっちの言い方でも別にかまわないんじゃないかと思っていたけれど、パパンの前では一応そこには気を遣っていた。)パパンはずいぶん熱心に手品の研究を続けていたし、各地の有名な「マジッシャン」にマジックの「コツ」を聞くために何日も車を走らせて大陸を縦横に行き来した。
だけど結局彼のそのおそるべき集中力はある日を境に矛先を変える。
長いこと手品によって目隠しされて気付かなかったようだけれど、パパンは実は相当に目移りしやすい性格だった。彼は手品修行の途中でパスタソース作りにハマってしまって、今はペンネのゆで加減やバジルや野菜の鮮度にうるさい、ふつうの庭師におさまっている。
(パパンの3番目のガールフレンドが僕の妹を産んだ年に、彼ははっきり家族の前で、「今日というこの日をもって、パパンはマジッシャンをあきらめる」とそう宣言した。)
4番目のガールフレンドと別れて落ち込んでいたパパンは、ある日オリーブの木の剪定中にアイスレモンティーを入れてくれた人妻と恋に落ちると、やがて彼女の望みどおり、シルクハットも鳩もダイスも、何年もかかって集めてきた倉庫2つ分の手品道具のすべてをあっさり手放した。マジカル・リサイクル・サービス。七色のペンキでそう書かれたトラックがやってくると、パパンの唯一ともいえる財産(リサイクルサービスの回収担当は見積書の「おもちゃ」という欄に迷いなくチェックを入れていた)を手際よく箱詰めにして、どこか知らないところへとそれらを永遠に運び去った。
今から12年前の話だ。
それ以来、パパンはもう二度と手品を披露しようとはしなかったし、タネやしかけについてのお得意の講義もぶたなくなった。
僕は大人になり、特に好きでもない自動車修理工場に週6日通って、休みの日にはじっくり油の染み込んだ分厚いつなぎを2着、ランドリーマシーンに放り込む。ガールフレンドはたまに家までやってくるが、時々二度とやってこない。
だいたいそんな風なことが繰り返されて、そのサイクルの中に含まれるひとつひとつの出来事に僕はペプシを飲んで納得する。なかなか見事なゲップが出ると、自分の暮らしがまた一周し終わった合図だ。ささやかなピリオドがひとつ、僕の歴史年表に打たれる。

自分にはマジシャンの素質があるのかもしれない。
だから僕がそんな風に思い始めたのは、本当に思いがけないことだった。きっかけというほどのことはない。ただ、ごく自然にそれは起こって、その場に居合わせた全員をぽかんと驚かせたまま、僕はそれがマジックなんだということをごく淡々と受け止めるしかなかった。
その日の僕らは工場の休憩室で、まだ終業時間前だというのに、テレビを見ながら冷たいビールを飲んでいた。
喘息もちの工場長が見回り中に発作で死にそうになっていたのをレスキュー隊員に引き渡して、僕らはもうすっかり仕事する気分じゃなくなって、とりあえず酒でも飲もうと誰かが言い出したのに従ったのだ。
やりかけの仕事は残っていたけれど、ちょうど太陽も落ちてきて、ただでさえ照明の足りない工場の中は隅の方から暗闇がしずかに広がってきていた。
何人かは家に帰り、帰ってもしかたない連中はなんとなく残った。冷蔵庫から何本かのコロナとビールを取り出して栓を抜くと、僕はほかの連中と休憩室のぼろいテレビを眺めていた。
フットボールの試合がだらだらと続いていた。
そろそろ隣に座った奴が玉突きにでも行こうと誘いをかける頃合いだった。
だけどその日に限ってそいつは空の瓶を振ってこう言った。おい、もう酒はないのかよ。
それは一番年下の僕に、椅子から立ち上がってさっさと冷蔵庫の中を確かめてこい。そういう意味だ。
去年の夏、女房に逃げられた可哀そうな男だ。工場にはそんな連中ばっかりが吹き溜まりみたいに集まっていた。
彼らのうつろな視線がテレビのガラス面越しに、ここではないどこかをさまよっていた。
休憩室のすみにある冷蔵庫は、低い不満の声に似たモーター音をたてて僕を見据えていた。
急に誰かが見事なパスを成功させて、相手チームが逆転のシュートを決めたらしい。小さな機械の箱から漏れる歓声と光が一瞬にして大きくなり、男たちは何も言わずその光景を見つめたまま、背中の影の色を濃く強めていた。僕はその後ろ姿を何か物悲しい気分で眺めた。
テレビの実況とだいぶずれたタイミングで、誰かが耳障りな奇声を上げた。酔っているのだ。べとついたドアの取っ手に手をかけたまま僕はその声を無視して、ゴールを決めた選手がチームメイトの輪の中に誇らしげに戻っていく様子をぼんやりと見ていた。
だからというわけではないけれど、冷蔵庫の一番近くにいたくせに、そのおかしな事態に気が付いたのは、僕が一番最後だった。みんなが僕の方を見てわあわあ騒ぎ出して、それでようやく何が起こっているかを知ったのだった。
僕はその日以来、あれこれと考えざるを得なくなった。心地よく意味のない僕の人生のサイクルが、知らない誰かのでかい手でぐしゃぐしゃに握りつぶされようとしている。その状況をペプシで一気に片づけることもできたが、それは最終手段にとっておこう。僕はめずらしくそう思った。

いったいどういうトリックを使ったんだ。
休憩室にいた連中は、あの後いっせいに僕に詰め寄った。
僕が開けた冷蔵庫の中には、つい1時間ほど前に運ばれていったはずの工場長がいたのだ。彼はがんじがらめの拘束具をつけられた状態で、クッションか何かのように丸まって、狭い箱の中に乱暴に押し込められていた。眼はかたく閉じられて、死んでいるようにも見えた。
事態がややこしくなったのはそのあとだ。僕が冷蔵庫を開け閉めするたびに、悲惨な姿の工場長がその中で出たり消えたりしたのだから。僕がそれを出そうと思えば出たし、消えろと念じればそれは消える。そしてまったく奇妙なことに、ほかの誰がやっても無駄だった。何度扉を開け閉めしても、そこにはコロナとジンジャーエールの瓶が2本。そしてカビの生えたラードの塊にバターナイフが刺さったまんま汚らしく転がっているだけだった。
僕が子どもの頃、パパンがよく話してくれた手品のタネとしかけの話。僕はその話を思い出さずにはいられなかった。それは自分だけの力でどうこうできるものじゃないんだ、とパパンは言った。それに見初められるかどうか、そこが大事なんだよ。(あとでそのくだりが有名な奇術師の受け売りだと知ることになるが、そこは仕方ない。僕のパパンはいろいろなものを寄せ集める才能だけは見事だったのだ。)
付き合いたてのガールフレンドと同じさ。お互いが恋に落ちたなら、あとは育てていくものなのさ。そいつがうまくいった暁には、きっと素晴らしいマジッシャンへの道が拓けるだろう。そしたらどんなヘビーなショーでも絶対乗り越えられるだろう。神様の手が味方する。

だけど僕は、マジシャンになりたいと思ったことは一度もないのだ。
乗り越えるも何も、マジックショーをやりたいとすら思っていない。パパンのように、タネとしかけと恋に落ちて、彼らをかわいがった覚えもない。あんな奇妙なことを自分がみんなの前でやってみせたことだって正直まったく嬉しくない。「できる」と「したい」と、ましてや恋はとにかく全く別物なのだ。
電話でそのことをパパンに話すと、しばらくパパンは何を言っていいか分からないという風に口ごもって、スパゲッティを茹ですぎてしまうから、という言葉を最後にそのまま電話が切れた。
おそらく、僕はパパンのナイーブな未練をうっかり蒸し返してしまったのだろう。
だけどやっぱり僕はマジシャンになりたいとは思わないし、自分が何の気なしにやったことが素晴らしいショーになっていたとしても、周りの人には「気にしないで」と笑ってお茶を濁すしかない。
ましてやパパンの情熱を受け継いだ「偉大なマジッシャン」なんて僕はほんとうにまっぴらなのだ。
posted by 2/5、地図書きのゆみ at 11:56| 東京 ☀| Comment(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月17日

寿太郎と夢天秤

koishikawa.jpg

私の大切なお友達の寿太郎さんが,人としての分別を大胆に放棄したのがこのたびの春の出来事.
その知らせが私たちに届いたのは口惜しい一昨日のことでございました.

寿太郎さんは美の道を志しておいででしたから,もちろんその感覚を磨き育てるのに広い意味での情操教育が不可欠というのが一般的な見解でしょう.
私も常々,読書や絵画だけでは寿太郎さんの感性を存分に伸ばすことはできないのではあるまいかと心密かに訝っておりましたから,あの方の朴念仁めいた暮らしぶりというのは他人事ながらどこか歯がゆい心持ちがしておりました.

寿太郎さんの暮らしといえば,お独り住まいの屋敷にて蕎麦や冷や麦ばかりを茹でて召し上がっていたようですし,お勤めのない日には朝早く美術展にお出かけになり,人にも会わず飯屋さんでちょこちょこと菜をつまんでまっすぐ家へと帰ってしまうのですから,まるで華やぎというものがありません.
それでも時折は赤提灯のお供が欲しいと思うのか,私の主人をひっぱって行き,どこぞの繁華な街角でお酒を飲まれることもあるようですが,酔えど語れどめぼしい恋の噂など寿太郎さんの話には気配すらよぎらぬとは主人の談でございます.
女性のお知り合いとお出かけになったらよろしいのに,と私から勧めることもありましたけれど寿太郎さんは心外だという顔をして,「興味がないのです」と言ったきり,取り付く島もありません.
そういう経緯がありまして,あれこれ世話を焼いてみたりもしたのですが,一向にそれが実を結ぶ気配もなく,広い世の中には寿太郎さんのような生き方も認められてしかるべきかと甲斐なきお節介は慎んで,私も主人もあれこれ寿太郎さんの人生に口を出すのをやめました.

そんな折も折,突然に寿太郎さんが雲隠れなさったのがこの5月.
いったいどうしたのかと思いながら,私たちも日々の暮らしに追われながらの小市民ゆえ,ひと続きの気持ちを保つのが難しく,あちらへこちらへと用事を片付け心を配るうちにすっかり寿太郎さんとのお付き合いが途絶えてしまっていたのです.
便りなきこともまたよき便りだとは今昔の時代からよく申しますけれど,今回のことに限っては,何か事情があるのではないかと疑ってみるべきでした.
そうすれば,一昨日の真夜中の電信にて,まだ歯も生えそろわぬような若いお嬢さんのお宅に寿太郎さんが体ひとつで逗留していると耳にした時も絶句する代わりに気のきいた挨拶くらい口にできたかもしれないのです.

何でもそのお嬢さんは絵を学ぶために上京されて今はお独りで下宿住まい,けれど故郷にはこれと決まった許嫁がいらっしゃるのだとか.
それで貴方はそのお嬢さんとどうなさるおつもりなのですかと電話口で寿太郎さんに詰めよりますと,「結婚したいに決まっています」と潰れたカエルにも似た情けない声で陳情を始めるのですから寝しなを起こされた私は返す言葉も見つかりません.
許嫁もいらっしゃるお嬢さんがなぜ寿太郎さんとそんなことになってしまったのかは私も正しくは把握しておりませんが,どうやら道を同じくするもの同士,ごく単純に心が惹かれ合ってしまったのでしょう.
それにしても,寿太郎さんの手の平を返すような理性への裏切りはいかがいたしたものでしょうか.
あと数カ月で学校を卒業されるお嬢さんは,それまで寿太郎さんとの関係には名前をつけずに様子を見たい意向でいるようです.
あちらへこちらへとその心が迷いがちな若い娘さんを導いて,人の道を教えてやるのが年長者の務めということは寿太郎さんご自身もはっきり理解しておいでですのに,あの人ときたら,おそらく婚約者を捨てられぬであろうお嬢さんの世話焼き奴隷になる気でいるのですから何ともタチが悪い話です.

ああけれど,
そんな寿太郎さんの愚行も光の当て方によれば美しき感性の訓練にほかなりません.
それは私には手の届かぬ光.
蛍火のような尊い自然の輝きなのでございます.

posted by 2/5、地図書きのゆみ at 15:57| 東京 ☀| 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月03日

竹中直人の夢

ar.jpg

何かいいものを貰いに受賞パーティーの会場に行かなくてはならぬのにその道のりというやつがベネツィアみたいな水路仕立てになっていて蓮がうかんでいたりするその溝の水深はだいぶ深そうで落ちたらしばし沈み続けるのは必至というぶかぶかサイズの蛇の道なので舟かボートかデカい桶みたいなものに乗りこまなくてはもう先に進めなくて弱っていたら、向こうから二人乗りの黒いバイクみたいな水上タクシーがのろのろぶぶぶと水の道を近づいてきたので見ると運転席には右目と左目がつながった割り箸の袋みたいにぺったりひらひらした形のサングラスをかけた女性運転手が乗っている。運転手女性は唇に科学的桃色塗装をほどこしており無表情。なのだ!さっそく連れが渡りに舟とそのタクシー乗り込もうとしたものだから自分も便乗しようと小走ったが唇、女声も出さずに「お一人様五千円!」と門前払いで財布の腑をひらけばああ蓮の葉色の紙幣が二枚、水上行脚にたらんたらんとじりじり胃粘膜がしとどに焼けて嫌な卑小なこころもちで連れにすがろうとするができず、てめえなんぞに借りを作ってたまるかよと毒づいた態度を隠そうと念をこめるとあら不思議。連れはたちまち塩の柱になって砕け折れてしまいましたとさ。ああ悲しい可哀想なことをしたと思うきもちよりもまだまだパーティーの会場に行って何かいいものを貰いたい強欲がまさっていて我利我利亡者かよ俺はと撒き散らされた塩のつぶつぶを見るがまさにそうだという結論にいたり。

みると目の前の桟橋に、竹中直人が立っている。

手にはトラベル用携帯歯磨きセットを持っていて、緑色のスウェット素材のぴったりした半そでを身にまとっており、なぜか胸のその部分だけなまめかしく乳首の形によりそって布地が隆起・隆起しているのでああここはアジアかとそのとき自分が二千円の庇護者として立っているその場所が世田谷区であることを思い出す。血管のように水路が走る世田谷区。そんなものはありはしない。竹中直人が自分が三千円を立て替えてやるからユーはタクシに乗れよというようなことを口で言う。竹中直人はいいんだいいんだとあの何遍もひっくり返して焼かれた煎餅のような顔色でほほえんでいるのだけど何故だか自分には竹中直人がその三千円のためにこれから当分のあいだは飢えと闘うつもりでいること飢えてたまらぬときにはあの歯磨きセットで歯をひた磨き空腹をまぎらわすつもりなのだとわたしは直感したのだ。その自己犠牲を思うとたまらなくなり猛烈な勢いで己が強欲を恥、改心に泣いて吠えているいや改心できぬことに泣き暮らすこんごを思い情けなくて鳴く鳴く良く鳴く。なんであんたがたかだか三千円のためにそんな惨めったらしいことせにゃならんのしかも笑顔でやめろやめろ救いがたいそのそれはなにかまごころかそんなもんやめてくれ。ごうごうと鳴くじぶんの声で目を覚ますと四角形の小部屋で瞼一そろい二そろいが次々と濁流に飲まれ流されあぶあぶと溺れていた。

そんな朝の出来事。


posted by 2/5、地図書きのゆみ at 15:45| 東京 ☀ | TrackBack(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月24日

魔法瓶の幕末

mirrorshop.jpg


魔法瓶を急須がわりにして湯呑茶碗にお茶を注いでいると
「そんな使い方をするのか君は、魔法瓶を。」
客人が驚いた様子で私と魔法瓶とを交互に見る。

そんな使い方と言われてみれば、そうかもしれない。
魔法瓶は魔法瓶であり、急須ではないのだから
急須として魔法瓶を用いるというのは本来の用途を若干踏み外した使用方法であり、
魔法瓶にしてみれば「ほうじ茶」という札のついたティーバッグを突っ込まれ
ドボドボ熱湯を注がれたあげくシェイカーのごとく数回揺すられた!と思ったら、
間髪入れずにそのままお茶と化した液体を
元は土くれであった瀬戸物茶碗などに横取りされるなんて
真空構造を内臓している魔法瓶の自分としては心外きわまりない
と憤っていてもおかしくはない。
そもそも魔法瓶の魔法瓶たる所以は、注いだ液体の温度が
注いだ当初の温度をそのまま一定時間キープできる保温・保冷界の
悪魔超人的なところにあり、
そのおそるべき能力は牧歌的ただの人間のわたくしが傍で見てると何とも不思議で
おそれおののいてしまったりするほどなのだが
魔法瓶がその自慢の魔力を発揮する前に
注がれるそばから瓶外に保温対象を放出していたら己の存在意義というか
アイデンティティというか、そういった自分が自分であるところの
大義名分みたいなものが内側から瓦解し、幕末を迎えるのではなかろうか。
いきつくところは明治維新。魔法瓶よ、魔法を捨てろ。ちょんまげをおろせ。
お前の魔法はもう古い。時代の風がそうささやく。
しかしそうかといって、魔法瓶が魔法を放棄していまさら
ただの瓶として生きていくことは易しくない。
これまで魔法瓶として生きてきた意地とプライドがある。
そうだ。
確かに客人の反応は正しい。
急須としての魔法瓶など認めてはならぬのだ。
「そんな使い方をするのか君は、魔法瓶を。」である。

しかし。
しかしだ。
魔法瓶が本来の用途で使われる機会は
現代日本・大人の日常生活においてはあまりにもとぼしく、
遠足やピクニックや運動会がローテーションを組んで
三日に一度くらいの頻度で催されるのならばまだしも、
旅行に出かけるのが年に1度ありやなしやという
現在地点はいつでも東京状態の私の昨今であるし、
しかも旅行となったらなったで駅の売店にはペットボトル
の飲み物が色とりどりの万国博覧会のように並べられているわけだし、
しかもそれらは飲み終われば魔法瓶と違って邪魔になった容器を
たやすくゴミとして処分できるわけだし。
つまりは急須がわりにしてお茶でも淹れてないと
魔法瓶は埃をかぶって何年も日の目を見ないなんてことに
なりかねない。

四民平等。
この言葉を思い出した。
武士も農民もない。
つまり魔法瓶の急須化は四民平等なのだ。
刀を捨てた武士が生活のために商いを覚え
田畑を耕したのと同じように、魔法瓶もいつまでも
特権的支配階級に甘んじてはいられない。
急須的職分へとその身を転じてでも生計を立てて
ゆかねばならぬのだ。
そうなのだ、客人よ。
あの時、
「我が家には急須がないんだよ」
などと魔法瓶に対する陵辱を弁解するのに私は言葉を濁したが、
実は急須のあるなしなど問題ではなかった。
急須としての魔法瓶の登用。
これは士族解体の瀬戸際に立つ魔法瓶への救済、
四民平等、廃藩置県、つまりは明治維新なのである。



posted by 2/5、地図書きのゆみ at 14:47| 東京 ☁ | TrackBack(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月11日

大名庭園、お着物道を通りゃんせ。

rakuyou.jpg

まあこう見えて、あたしはこわがりやから、
世の中にはこわいことってぎょうさんあると
今まで思ってたんよ。

せやけどな、
ほんまにおそろしくて、足ビビビってすくんでまうような
そんなおっとろしいもんなんて
そうそうあらへんねやってあたし、こないだ分かってしもてん。

ちゅうのもな、お庭歩きのことや。

あそこの大名庭園は裏門の鍵がだるだるやから、
一発忍びこんだれやってこないだ夜おそくに
百ちゃん誘って二人で出かけてん。

春になれば染井吉野が咲きほこっとるお庭さんや。
ものごっつきれいやねんけど。
あんたはどうせアンポンタンやから分からんやろ。
まあええわ。

そのお庭さんがな、この時期はまた紅葉やで紅葉。
もみぢ狩りの狩り場やで。
おもてからちょこっと中をのぞくともうな、真っ赤なお城や。
昼間はおっちゃんおばちゃんがぎょうさんつめかけよる。
まあ年寄りの観光名所やな。
わらわら人がおって、地元の人間にはうっとおしい眺めや。

せやけど、夜は別でな。

夕方5時には正門が閉まるから、誰もおらんくなる。

さぞかし静かやろ。
誰もおらん紅葉のお庭を2人じめや。ええやんええやん。
そう思って百ちゃんと出かけてん。

裏門の前までさむさむ言いながら、百ちゃんとカイロにぎにぎしてな。
閉門の5時もとっくにすぎて晩御飯の時間や。
ほしたら着いてびっくり。目ん玉とれたわ。

むっちゃ人おるやん!

そうなんよ。
夜の庭園をライトアップするっちゅう、なんちゃらウィークや。

なんやもう。あてがはずれたわって思ったけどもやな。
そこで帰るんもさみしいやんか。
ほんならふつうに入ろかっちゅう話になって、
百ちゃんと切符買うて中に入ったわ。

まあまあ、そこは正解やったな。

一歩お庭に踏み込んだら、見渡すかぎり万華鏡や。びうてほーや。
うっつくしい眺めやった。

ちっこいもみぢの葉が、
何枚も何枚も空中で重なってポーズつけとんねん。
ジャンプしたまま降りられへんバレリーナやで。
ずっとずっときれいなまんま、そこで時間が止まりよる。

興奮した百ちゃんが
「お着物の柄の中、歩いとるみたいやなぁ」
って言うたから、興奮したあたしも
「ほんまやな、お着物の柄の中やわ。お着物道やわ。」
って答えといた。

吹流しの袖口を抜けると、お池にぶちあたってな。
端っこから端っこまで、泳いだら何分くらいかかるお池やろ。
まあ水泳部員とちがうから、そこらへんはわからんかったけど
とにかく、ごっつでっかいお池や。
そのお池に、ライトアップされたもみぢやらつつじやらが
色とりどりに映りこんで、水面がまるで鏡なんよ。
見事なもんやで。想像してみい。
あたり一面、水でできた鏡ばりの絨毯や。
そこに金ピカの秋が、うっとり優雅な顔しはって寝そべってるんやから。
ほんでもって、
風が吹いたりすると水の波紋に合わせてな
鏡の中の景色がゆらゆらちゃぷちゃぷ揺れたりするんよ。
なんやたまらんかったわ、あんまり浮世ばなれしとって。

あたしがゾクゾクしながら見とれとったら、
「まるで穴や。」
お池さん指さして、百ちゃんがそんなことを言うた。

たしかに明るく照らされた岸辺のところ以外は、
百ちゃんの言うたとおり池はがらんどうで、
地面にでっかい穴がぽっかり口を開けとるみたいやった。

「なあ。これはたぶん、じごくあなやで。
 落ちたら絶対じごくに落ちる、じごくあなやで。」

百ちゃんは穴の淵に立ちすくんで、
でかいでかい地獄への入り口をはやしたてる。

いや、ちゃうで。

でかい池が地獄へ通じる地獄穴で、怖い怖いっちゅうオチやないんよ。

まあまあ、
たしかにあんだけおっきな落とし穴が、夜道に口開けとったら
そらそれで、むちゃむちゃ怖いねんけどやな。

ちゃうねん。

そっから後の話や。

池からまた元の着物道を引き返して、
百ちゃんとふたり、
吹流しの模様になって歩いとった時や。

もう裏門も近いでって辺りで、ふと名残り惜しくなって
百ちゃんもあたしも、お互いに立ち止まったんよ。
後ろにも前にもずっと続く紅葉の赤々とした眺めや。
うちらは、なんとなく口もきかんと黙ってしばらくそれを見てたんよ。
まあ、日本人やしな。秋の風情に感じ入る瞬間やった。

そん時や。

あんまりその眺めが美しかったせいやろか。

「ほんまはあたし、いまここにおらんのとちがうか。」

そんなクエッションが、
夜空からぽかーんと心のなかに落っこちてきて、
そこでピタッと止まってん。

どっから落ちてきたのか知らんけど、
なんや赤や黄や橙の秋の切れ端を見てるうちに
へいこうかんかく、みたいなもんが
どっかでおっきく傾いてしまったのかもしれん。

その「ピタッ」の瞬間から
こんな浮世ばなれした眺めは、現実にはありえへんのと違うやろか
自分の心ん中にしかありえへん眺めなんと違うやろか
どんどんそないに思えてくんねんな。

ほんでな、
もし仮にそう思たことがほんまやったらな
仮に、目の前の景色が心ん中にしかありえへんものやとしたらやな。

あたしがいま見ている、この紅葉のうっつくしい絵っちゅうのはや
あたしの心の中のうっつくしい絵やねん。
あたしはあたしのこころんなかをうっつくしいけしきとか思てながめとんねん。

そんでな、中のもんが外にもあるっちゅうことはな、
あたしの外側と内側がおんなじうっつくしい模様でつながっとんねん。
地続きやねん。

ちゅうことはや。
その外っかわと内っかわの間に突っ立っとる
このあたしっちゅう仕切りは一体なんやねんな。
うっつくしい外っかわの模様とうっつくしい内っかわの模様を
なんで途中で区切っとんねん。分けとんねん。
そんなん、せんでええやん。
仕切りなんか、いらんやんか。

そう思えてきてん。

ほしたら、
障子紙が水に溶けるように
あたしもこの模様の中に、溶けてしまうのがよろしい。
いや、ちゃうな。
もうはなから、あたしはこの模様に溶けとんねや。
ここにはせやから、あたしはもうはじめからおらんねや。

そうやった。

ここにあたしはおらんねや。







百ちゃんがあたしの手を引っ張っらんとそのままやったら、
あたしはきっと、
あそこで溶けてなくなってたと思うねん。

その証拠に、裏門から出たあと街灯の光に洗われると
あたしの体にずしんと何かの重さが戻ってきてん。

それが何やったのかと聞かれると困ってしまうんやけど。

百ちゃんのおかげで命拾いしたわって、その時に思た。

そうや。
きっとあれは、お庭の中で落っことしそうになった
あたしの命の重さかもしれへんな。
あのお庭の眺めの中には、人の命がと

やめとこ。

あたしが恐ろしいのは、
あん時、あの模様に溶けてしまうことがきっと正しいって
自分がはっきりそう思ってたっちゅうことや。

恐ろしいなんて、微塵も思わんかったっちゅうことや。

恐ろしいもんを恐ろしいと感じなくなる
そんな風にかどわかされたら、人間なんてひとたまりもないわ。

それにくらべたら、
こわいこわいって怖がってられるもんなんて
まだまだかわいいもんやで。

ほんまに。





posted by 2/5、地図書きのゆみ at 23:19| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月17日

内木名元帥と夢宮殿

flying zii.jpg

たとえ肉弾戦であろうとも、
最終的に戦局を決めるのは、
ふさわしい策を敷くインテリジェンスに他ならない。

武器を、力を、ウエポンを
いつ、いかなるタイミングで投入するのか
見取り図を描いた策士の勘と器量が
その実力に見合った「事の次第」を召喚する。

お茶の間という戦場においてもそれは変わらない。

「恐怖の四つ手魔獣・あったかコタツ」との永きに渡る
戦いの歴史に一条の希望の光が差したのは、
すでに現役を退いて久しい内木名元帥の別荘で
我々が甘味に口ゆすいでいた冬の氷日のことであった。

「元帥、夢宮殿には手も足も出ないのです。」

あの夢宮殿の玄関先では
意思も決意も氷のように溶かされてしまいます。

「ファック・・・・」

元帥、勇敢な志士が既に幾人も魂を抜かれてしまいました。
我こそはと雄叫びを上げてコタツに突入していった戦士たち。
彼らは一人残らず夢宮殿に飲まれると、
たちまち欲望に挫け、戦意喪失。
「心も体もぽっかぽか」という美辞麗句の前に
次々と打ち破れていったのです。

微動だにせず、縁側のテラスで庭を眺めていた内木名元帥は
あんみつを食べるために握り締めていた小さな銀のスプーンを
池の淵に向かって投げ捨てた。
池の鯉が慌てふためいて逃げ惑っている。

「・・・・ビーストめが。」

元帥の両眼からは大粒の涙がぼろぼろと
水銀の玉のようになって
湧き出しては重力に抗えず落下していく。
元帥は泣いていたのだ。

「元帥、わたしに策を。もはやこれ以上、
同胞の無念を目の当たりにするのは沢山です。」

ひざの上の小さな器から、小豆や寒天に埋もれた
バニラ・アイスクリームの塊をわしづかみにすると
内木名元帥は、黙って自らの掌にのせた。

「こいつの名はプガチョフ。」

プガチョフ・・・その響きには聞き覚えがあった。

「連れて行くがよい・・奇しくもシベリア生まれの用心棒だ。」

走馬灯のように、ナポレオン戦争後史が脳裏を駆け抜けた。
ナポレオンを撤退させた後、巨大コタツは増長した。
冬将軍の配下に甘んじることを拒み、単独でロシア全土を
征服しようと暴れまわったのである。
そんな巨大コタツに唯一立ち向かうことのできた、数少ない勇士。
あのプガチョフが目の前にいるというのか。

涙に頬を濡らした元帥は、深い皺を刻みながら笑った。

「そうだ。あのプガチョフ伍長だよ、巨大コタツにとどめを刺した。連れて行くがいい。」

元帥は、私の左手にアイスクリームの姿をした英雄を無造作に乗せた。
私の皮膚とプガチョフの柔肌は、接触した途端に激しい化学変化を起こし、
結果、プガチョフのほうが少しだけ溶けて液体に変わった。
熱さに溶ける用心棒。
シベリアの救世主。

前置きが長くなったが、かくのごとくして
わたしはバニラ・アイスクリーム・プガチョフを仲間にしたのであった。


posted by 2/5、地図書きのゆみ at 01:10| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月09日

ふたたび冬の夢宮殿

reading z.jpg

はやく冬になればいいと思う。
冬には楽しいことが目白押しなのだ。

たとえば。

冬は寒いので、室内では毛布を全身に巻きつける。
仰向けになって頭まで被り
はだけないようにしっかりと
適度なルーズ感も残しつつ。
目安は「がっちりふかふか」だ。
すると次第に、
緩めに巻かれたミイラのような気分になってくる。
エジプトでもないのにミイラ!
ファラオでもないのにミイラ!
昼時に〜
長崎ちゃんぽんを〜
食べたくせに〜
今はもう
ミイラ!
その珍奇な状態を想像しただけで気持ちが高揚してくる。
盛り上がってきたら、そのままゴロゴロと床の上を転がって
ローリング・ミイラごっこに耽るのもいい。
そのとき誰かが突然ガチャッと部屋に入ってきても、
「いやー。寒くて毛布が手放せないんだよ。」
などとアリバイ工作も朝飯前だ。

また、真冬の風物詩である「コタツ大戦争」。
文字通りコタツとの戦いだ。

コタツは私の知る限り、世界一手強い魔冬のモンスターである。
皆さんご存知のように、
ナポレオンが1812年のモスクワ侵攻で撤退を余儀なくされたのは
冬将軍が巨大コタツを飼い慣らしていたためだ。
その史実はあまりにも有名であるが、もはや過去のおとぎ話だと
決めつけ安穏としている輩も多い。
だがしかし!
コタツの脅威にさらされているのは、フランス軍だけではない。
この平和な島国ジパングにおいても、コタツの魔の手は
ぬくもりを求めるお茶の間にヒタヒタと忍び寄っているのだ!

ところで、
コタツは別名「冬の夢宮殿」と呼ばれている。

夢宮殿とは、
一度足を踏み入れたが最後、あまりの居心地の良さに
そこから出ること自体をすっかり忘れてしまうという魔の宮殿だ。
訪れた者は例外なく、その魅惑の空間に身も心も骨抜きにされてしまうという。
『浦島太郎』に出てくる龍宮城。勿論あれも夢宮殿だ。
そう。
夢宮殿は素晴らしい。素晴らしいほど恐ろしい。
何故か。
察しのいい方はお分かりだろう。

夢宮殿では、外の世界とは時間の流れるスピードが違いすぎるのだ。
楽しく2、3日夢宮殿で過ごす間に、外では数百倍の速さで
時間が流れている。
その帳尻を合わせるのが玉手箱なわけだが、
コタツに入って玉手箱を手渡されることは滅多にないだろう。
幸いなことに、お茶の間サイズのコタツは、
夢宮殿の勝手口のようなもので
うっかり数十年過ごすほど危険な規模ではない。

だが、そうは言っても
コタツによって我知らず時間を奪われてしまうことは
間々ある。
コタツは人間の時間が大好物なのだ。
ほんの10分くつろぐつもりが、時計を見ると数時間。
これではモンスターの思うツボじゃあないか!
牙を剥いたところで失くした時間は戻らない。

ではどうするか。

お茶の間の用心棒の登場である。

(つづく)



posted by 2/5、地図書きのゆみ at 17:02| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月30日

鏡男と鏡に映らぬ曲を聴く

nuit.jpg

鏡男さんとお食事しました。

鏡男さんとお逢いするのは二度目のことで
ろくに言葉を交わしたこともなかったもので
もちろん逢ってお話するまでは相手の方が
鏡男さんだなんて露ほども思いませんでしたけれど
立ち居振る舞いから頭の中での仕草まで
誤魔化しきれぬほど鏡そのもの
私のおこないもたくらみもそっくりそのまま映ってしまうのですもの
どちらからという事もなく鏡男さんだということを当たり前にして
気がつくとすっかり鏡遊びを楽しんでしまいました。

美しい星の話をしていてふと気がつくと
鏡に映らぬ曲がかかっていました。

鏡男さんはうまくは歌いたがりません。
ただ歌っているとだけ歌います。
天邪鬼もエスパーも鏡の中では仲が良い。
多分そんな歌詞だと思います。
唇から飛び立った言葉はどのひとつも鏡に映らず
墜落して死んでしまうのです。
それを知っても言葉で海を作り塔を天までそびやかすのが人なのです。
酔いも手伝ってそんな歌を私が歌うと
憂いが辺り一面ににじんでゆきます。

ああ楽し
ああ悲し
鏡に映らぬものたちは
映らぬままで死んでゆく
ああ寂し
ああ恋し
せめて歌声残したい

鏡男さんがそっくりそのまま私自身というわけではない
ということは分かっていました。
けれど、鏡男さんと話していると
そこに映ったもう一人の自分が割れて粉々になってしまう虚像なのだということは別に忘れてもいいような気分になってしまうのでした。

posted by 2/5、地図書きのゆみ at 15:39| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月07日

食べられるカジノを作ることにした。

elma.jpg

どうにかならないのか。

椎茸の裏っ側は。

も少しタフでいてほしい。

椎茸の裏っ側よ。

やけに細かい溝みたいなのが
ルーレットの円盤そっくりに
規則正しくひしめいているんだ。
椎茸の裏っ側には。

そのくせ溝と溝とを溝たらしめている壁が
象牙色にふわふわと棚引いているもんだから
到底カジノには向かないのだ。
椎茸の裏っ側は。

林檎にしてもそうだ。

林檎と林檎を闘わせて
コロシアムみたいにしたら
なかなかいいじゃないか
「アップル・コロシアム2007」

思い立って
その辺をうろうろしていた林檎をつかまえて
練習試合をさせてみたのだが
ちっとも闘わないのだ。

戦闘意欲がないのか。
林檎よ。
少しくらいのやる気は出せないか。

味噌田楽でポーカーを試みる。

シャッフルが難しい。
柚子味噌で描いた数字や絵柄が
シャッフルでぐしゃぐしゃになってしまう。
数字の判別がつかなくなると
もはやトランプとしては意味がない。
また、カードを動かす度に味噌がそこらじゅうに
飛び散って見た目も美しくない。

どうしたらよいのだろうか。

もう少し、
ぐにゃぐにゃ動かないように
蒟蒻を鍛えるしかあるまい。

生きることと同じように
骨が折れる仕事である。







posted by 2/5、地図書きのゆみ at 14:45| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月20日

続・東京未知案内(お買物編)「迷宮堂書店ナイアガラ」

him-thumbnail2.JPG

おもての空模様は

どうやら

雪から「みぞれ」に変わったようでした。


半液体の白い固体

すなわち

みぞれ混じりの雪



5人の

夏目漱石たちの

外套や耳あて



みるからに冷たく

濡らしていたのです。


「寒かったなぁチクショウ。」

赤い帽子をかぶった漱石が

舌打ちしました。

毛糸の帽子の額の部分には

「BOYS」

という刺繍が見えます。

自分たちのことでしょうか。

5人は

そのつぶやきを合図に

濡れた衣服をどんどん

その場で脱ぎ始めます。


その昔

国語の教科書や

紙幣の右側で

物言わず

物食わず

静謐に

こちらを見つめていた

二次元の顔が

いま

総天然色3Dで

目の前に

5体も出現し

しかも

思い思いに

人間臭く、動きまわっている

というのが

まるで

空想上の生き物を

実際に

目撃しているようで

そして

目のやり場を

決めかねる

その

奇妙な心持ちが

文豪が5人

黙々と

脱衣を続ける

古書店内での

わたしの立ち位置を

ひどく

所在ないものにするのでした。



「こんなとき、

人は一体どうしたらいいんだろうか。」



唐突に

心を見透かす

エスパーのように

夏目漱石の一人が

まっすぐにこちらを

見据えて

そう

言い放ちました。


声の主は

外套を脱ぎ捨て

群青色の

ジャージ姿になった

夏目漱石でした。

肩から手首にかけて

白線が3本

美しい平行線を描いています。


ほかの漱石たちは

店の棚や柱に

あまつさえ

売り物の仁王像にも

濡れた衣服を

羽衣のように

ひっかけて

乾かそうと試み始めています。


ジャージの漱石は

スニーカーの靴紐を結ぶと

何かの儀式のように

咳払いを

一つ

二つ

行って

紙幣のときの、

教科書のときの、

「あの顔」

をあつらえて

レジの横に立つ

わたしの傍へ

ソウセキ、ソウセキ、



音もなく

歩み寄ってきました。


そして耳うちが始まったのです。

「どうも、ごめんください。」

滝本さんいますか?

この言葉にわたしはちょっと驚きました。

なんと文豪・夏目漱石が、

いい加減な店の主人・滝本さんを指名しているのです。

滝本さんは

滝本さんは

いま

戦争に行っているんです。

とっさにわたしは真実を口にしました。

戦争?

ええそうです。

命をかけた攻防戦です。

テレビジョンが潜伏中で。

「満州のあたりにかい?」

さあ、どうなんでしょう

わたしにも戦況の詳しいことは。

そうかい

それは弱ったな。

わたしでよければご用件を伺いますが。

「お嬢さんが?」

まさか、という表情で

漱石の声は憂いに沈みます。

わたし留守を預かっているんです。

滝本さんから店のことは

なんでも好きにしてくれと言われているんです。

「これが時代の流れというやつなのかな。」

文豪の目じりに

しみじみとした液体が

湧き出すのがわかりました。

何かお探しでしたら、わたしがお手伝いしますので。

ご親切に。

留守を守るのも大儀だろうに。

年配者が小娘の身の上に

心を痛めている、

そのことに

逆にこちらの肩身が狭くなりました。

漱石とわたしは

つかの間、

落ち着かない様子で

店内をうろついている

4人の夏目漱石たちを

じっと見つめていましたが

やがて文豪が、

意を決したように口を開きました。

「あの扉の鍵を1つ、買い求めたいのだが。」

あの扉

と漱石が指差したのは

六角形の店内の

一番北側にある鉄の扉。

そして、その扉には

滝本さんの字で

「お手洗い・施錠中」

と張り紙がしてありました。

あちら、お手洗いみたいですけど。

ああそうだね。

そして使用にあたっては

どうやら鍵が必要らしい。

その瞬間

たしかに

文豪は途方に暮れていました。

壁に虫ピンで留められた

小さな南京錠の鍵を

彼に手渡し

「千円になります。」

そう告げると

わたしたちの間に

途端に事務的な空気が流れるのが

わかりました。

「ありがとう。」

ジャージのポケットから

几帳面に折りたたんだ

紙幣を取り出すと

漱石は

一枚

また一枚と

レジに並べました。

5百円札でした。

「あの」

言いにくいんですが

それ

扱えないんです。

差し出された紙幣は

わたしが生まれる

はるか以前に

その流通時代を終えた

骨董品のひとつでした。

「なんだって・・・。」

こちらの空気がそれとなく

伝わったのか

それまで我関せずだった

ほかの漱石たちが

にわかに焦り始めたのが

分かりました。

「お嬢さん。」

ない袖は振れない

そしてもちろん

交換という機能をなくした金は

もはや紙くず同然です。

「だがしかし」

見ての通り、状況は切迫している。

今の我々には

どうしてもこの鍵が必要なのです。

そのとき

5人の漱石が

「あの顔」をしていました。

偉大な文豪が、

己の無一文を憂う余裕すらなく

小娘の仏心にすがりつこうとしている

そういう顔でした。


「仕方ありませんね。」


結局、

仏心を担保に

わたしは「迷宮堂書店」に

借金をすることになりました。

店番の時給から天引きに

と期待しているのですが

それは滝本さん次第でしょう。


文豪はもちろん

律儀な人でしたから

ちゃんとできる限りの誠意を

見せてくれました。

誠意はいま

わたしと一緒に店番をしています。

千円分の支払い

ということで

赤い帽子の夏目漱石を

ひとり

文豪は残していったのです。

滝本さんに借金を返したら

もちろん

わたしの家に

連れて帰るつもりです。

だって、

戦争が起きたせいで

にわか店員になってしまったけれど

わたしだって元々は

この「迷宮堂書店」に

買い物に来たわけですから。




















posted by 2/5、地図書きのゆみ at 03:01| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月19日

東京未知案内(お買物編)「迷宮堂書店ナイアガラ」

timeless.JPG

店主の滝本さんのことは

実を言うと

あまりよく知りません。

「まあ、

適当に立ったり座ったり、

曖昧に過ごしててくれればいいから。」

それもそのはずで

私はその夜

初めて

「迷宮堂書店ナイアガラ」

に立ち寄ったのです。

それなのに、

冬将軍を味方につけた

滝本さんは

客であるはずの私に

店の鍵を握らせて

こう言うのです。

外は寒いが

ここは暖かい。

なぜなら

ここには

ハロゲンヒーターがあるから。

そして君は

好きなだけ

ここに居ていいんだ。

ええ、でも私。

「俺は今から

戦場に行かなければ。」

なぜかって?

それはね

お茶の間という戦場で

テレビジョンの誘惑と

決死の攻防を

繰り広げるためだよ。

俺の

この

ちっぽけな命をかけてね。


「じゃ。」

そう言うと、

奥さんとおでんが

首を長くして待っているという

2階の自宅へ

滝本さんは

いそいそと引き上げてしまいました。


そんな訳で

夕暮れ時の好奇心は、

道草に足をすくわれて

おかしな古書店の店番を

うっかり引き受けてしまったのです。


「基本的にね

店の中の物は全部売り物。

大小問わずね。

店自体も売り物だし、

小さいとこでは

付いてる値札だってちゃんと売れるんだから

注意するんだよ。」

滝本さんが言うには

『4百円』という手書きの値札も

それ自体が売り物だと言うのです。

小さく切っただけの

ゴミみたいな厚紙に

「400円も払うお客さんがいるんですか。」

滝本さんの真意を測りかねて

わたしが尋ねると、

そんな商売するわけないじゃない。

うちは良心でもってる店なんだから。

滝本さんの眉が歪み

私の質問に

心外だと言わんばかりです。

「実際はなんと!

半額の200円まで

まけちゃうんだから。」

わたしに困惑を手渡すと

滝本さんは歪んだ眉毛と共に

すでに消えていました。


見渡すと

古書店とは名ばかりで

本棚ひとつ

本一冊

見つかりやしない店内は

錆付いた鉄の人体模型や

鏡張りの将棋盤

過去に向かって時を刻む

左周りの懐中時計

などなど

趣味のよしあしは

さておき

よそではあまり見ない

突飛な代物が

畑を埋め尽くす

旬の作物のように

六角形の店内の床に

蔓延っています。


まあ、

外は雪山のように

吹雪いているし、

訪ねてくる物好きも

今夜に限ってはいないでしょう。


奇天烈な日用品を

眺めながら

数でも数えて過ごしましょうか。


そう高をくくった矢先でした。

夏目漱石が

5人

店の入り口から

次々に

なだれ込んできたのは。


(つづく)











posted by 2/5、地図書きのゆみ at 00:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月14日

エッシャーの神隠し

stations.JPG

休日の起床の儀式。

手帳を天日に干す。

すると

「スーパーエッシャー展(本日まで)」

1月13日のページの隅っこに

そんな一文があぶり出された。

こうしちゃいられん!

パジャマのまま家を飛び出し

渋谷のBunkamuraに赴くも

「入場まで150分待ちでーす!」と警備員の声。

ここはロシアか!ってくらいに

あふれかえる入場待ちの長蛇の列。

会場で酸欠

そんな数時間先の自分の未来が見えたので

入場をあっさり断念。

いっそ赤字の売り場を潰して

常設展にしてくれ

東急よ

真昼の星に願いつつ

宇田川町の交番近くで

やさぐれていると

センター街の親切な人に

「パジャマ、脱ぎ忘れてますよ。」

と教えられる。

少しだけ心がなごむ。


その後

パジャマではない服を着て

結婚パーティーの打ち合わせをしに新宿へ。

終わってみると宵の口。

その舌先に誘われて

酒場で赤玉ポートワインをなめる。

そして

酔った先には新宿末広亭が。

行くか。

ひさびさの深夜寄席。

寒空の下、

ここにも長蛇の列ができている。

すきま風が絶えない末広亭に

酸欠の心配は無用だろうと

もぎりに並ぶ。

この待ち遠しい時間がいい。

ビバ!入場待ち!

深夜寄席の噺家は決まって4人。

みな二つ目の方である。

「二つ目」というのは噺家の身分のひとつで

前座→二つ目→真打ち

という順で昇格するのだ。

そんな深夜寄席では

古典をやる人もあれば

オリジナル現代落語をやる人もいる。

わたしは話術で見せる古典のほうが

好みだ。

今回は半々で古典をやる人・現代落語をやる人が

2人ずついた。


それにしても

昔語りや江戸弁というのは

どうにも色っぽくてたまらない。

一見落語は、

「思想」や「セックス」とは

無縁の見世物のようで、

そして

そこがまたいいのだが

やはり生身の人間を通して

演じられるだけに

演者の声や口調、

しぐさ・立ち居振る舞い

そのオーラ

などによって醸し出される色気がある。

ラジオやCD音源などでも落語を聴くことは

できるけど、

やはり自分が寄席に行きたくなるのは

舞台上

たった一人の人間の肉体から

ここではない別の世界が

立ち昇っている、

その絵柄を目撃したいのと同時に

「世界」を作ることができる肉体の

個別の機能美

に触れたいからだと思う。

(なんて小気味よい喋り方するんだろう

この人は。みたいな、そんなこと)


最前列で見ていたせいか、

壇上から

「お姉さん、笑いすぎだよ。」

と噺家さんに突っ込みを入れられつつ

それでも涙と鼻水を拭うほどに

笑って笑って

堤燈明かりに酔いながら

時を過ごした。



















posted by 2/5、地図書きのゆみ at 01:25| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月27日

「無愛想裁判」

bonjuu.bmp

「無愛想裁判」という夢を見た。


友達と街中を歩いていると、ばったり別の知人の男の子に会う。

挨拶をするが、彼は私を素通り。

その態度に、なぜか連れの友達が激怒。

その知人を裁判にかけると言い出す。

奇遇なことに、連れは弁護士なのだった。


その罪状は、「無愛想」。

知人の弁護に、なぜか日本中から敏腕弁護士が集まってくる。

そして何故か裁判は東京ドームで行われる。

ナイターの照明が、

なんとも劇的に被告人を糾弾し、

その模様が全国ネットで中継される。


日本中が息をのんで注目する中、

魔女狩りにあった哀れな知人は、

それでも相変わらず無愛想で、

たまにメガネを拭いながら、

iーPodをシャカらせ続けている。

どこから見ても、無愛想だ。

勝ち目はない。

死刑か。


誰もがそう予感したそのとき、





知人を裁判にかけた友達が、

裁判官の前に進み出た。

「わたしが彼の無実を証明して見せます!」

おや?

君が彼を訴えたんじゃ・・・・

と思った瞬間。

弁護士の友人は、

被告人のi-Podに・・・・

たいまつで火をつけた!!


ゴオオオオオオオオォォォォォォ!


燃え盛るポータブルプレーヤー!

途端に周りを見渡し、我に返ったように慌てふためく被告人!

焼けてチリチリのイヤホンをはずした彼は、

なんと別人のように愛想がいい!

「ほら!彼は無愛想なわけじゃない。

      ちょっと音楽に心を奪われていただけ!!」

「おおー!!そうだったのか!」

「よって、被告人は無罪!!!」

「無罪!!!」


東京中の高層ビル屋上から、打ち上げられる祝福の花火。

夜空に打ちあがる歓声と流星郡。

感動をありがとう!

勇気をありがとう!!

日本列島が感動に打ち震えたところで、

雨の音で目が覚めた。













posted by 2/5、地図書きのゆみ at 14:11| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月23日

31戦争(サーティーワン戦争)

dream.bmp


『ドリームシップ エピソード1/2』はもう観ましたか?

悶絶ものです。

腹筋と背筋が筋肉痛になるくらい楽しみました。

『どつかれてアンダルシア』以来の傑作。

「シアターN渋谷(旧ユーロスペース)」他にて、

レイトショーでやってるので、観るべし!!


そんなわけで、

昨日、恩田が見た夢の話でも書きますか。

豪華二本立て。

ハイビジョンでした。

一本目は、風の谷のお話。

風の谷で、

風が止んだ!!

大変だ!!

ってことで、

谷の人々は何とか風を起こそうと

知恵をしぼり、

巨大なオバケ扇風機を作って、

再び谷に風を取り戻そうとします。

村の全精力を結集させて、

作り上げた日立の扇風機。

民の額には汗と涙がにじんでいます。

さあ!あとはスイッチを入れるだけ!!

期待と感動の一瞬です。


・・・・あ!?


そういえば、

電源はどこからとるんだ?

・・・今まで、この谷では電気は全て、

風力発電だったじゃないか!

扇風機の電気は、

どっからとるんだよぅっ!!?


人々は途方に暮れて、

役立たずの巨大扇風機を見上げるばかりでしたとさ。


ラウンド2!

「31戦争(サーティーワン戦争)勃発!!の巻」

平和な地球は、いつも争いの火種と隣合わせ。

そう、

人類史上、最も陰惨で、

宇宙にもその戦火が飛び火したという、

伝説の31戦争(サーティーワン戦争)。

ことの起こりは、


「サーティーワンのアイスクリームは、

     どのくらい高くまで積み上げられるのか?」


そんな素朴な疑問に、

世界の国々が心を奪われたことがきっかけだった。

各国は、

科学技術を駆使して、

どの国よりも高く、アイスクリームを積み上げようと

躍起になった。

そして、

より積み上げやすい種類のアイスの製造方法を独占しようと、

連日首脳会談が開かれた。

某国首脳「チョコチップはわが国のものだ!」

某国外務次官「そっちがその気なら、フローズンヨーグルト協定を破棄して

やる!」

ジャンクフード大国・アメリカは、

このチョコチップ会談で、

積み上げやすいアイスのほとんどを独占した。

そして、NASAの特殊加工技術を駆使し、

さらにアイス積み上げ高度を高めていった。


その甲斐あってか、

サーティーワン・アイスは、地上のコーンカップから、

ついには、

遥か宇宙にまで届くほど、高く盛りつけることが可能になった。

このまま、

31戦争は、アメリカの一人勝ちに終わるのか?

誰もがそう思い始めた矢先。


彗星のごとく、


登場したのは、


中国だった。


中国の持つ積み上げ力は、

アメリカに勝るとも劣らず。

しかし、

アメリカには秘蔵兵器・チョコチップがある。

まともにやっちゃあ勝ち目はない。

中国は考えた。

たとえば、

アメリカのアイス高には少し足りないわが国のアイスたちでも、

それを二つ足したら!

アメリカをわずかながら、上回ることができるのでは?!

後に、万里の長城作戦と呼ばれたこのヒラメキは、

まさに発想の転換であった。


そう!

地上から積み上げたアイスクリームの塔と、

宇宙で作ったアイスクリームの塔を、

大気圏で合体させるのだ!!

作戦は実行に移された。

色とりどりのサーティーワン・アイスクリームが、

暗闇の宇宙の中で数珠のように連なって、

ひときわ甘い匂いを放ち、

地上から伸びた、

バニラ・ピスタチオ・マンゴーヨーグルト・ミント・オレンジ・・・

無数のアイスクリームからできたタワーと、


大気圏で衝撃的な合体!!!!!


中国人は総出で喜びの太極拳!!!!


その途端、

どろどろに溶け出し、

液体となって流れ出すアイスクリームたち。

確かに一瞬、中国はアメリカを抜いた!!


しかし!!!!!


そのときだった。


溶けたアイスは、

溶けたアイスは、

溶けたアイスは、

アイスじゃない!

ジュースだ!!!


口の端から唾を飛ばしながら、

某国国務長官が叫んだ。

確かに、そうかもしれない。

世界中の人々が、ちょっと共感した。


「溶けたアイスはアイスじゃないのか?」


ここから、

また新たな論争が生まれ、

31戦争は、

第二次31戦争へと突入する・・・・。



と、いうところで目が覚めました。






posted by 2/5、地図書きのゆみ at 16:14| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作り話(あっとうてきなしんじつ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする