2010年01月27日

往く月の宴

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おいと目が覚めて,
「とてもはやい」という名前の粗茶を煮出して
湯気にあたっているともう夜だ.

はやいというより,見えないくらいでその速度.
時間は弾丸,糸を引く魔球.


あわてて髪を梳かしつけ,
風が前からこう吹き付けてくるぞ
という格好に整えて戸締り.
図画工作の夜は更けて,アルミ箔で誰かが
お日様を満月に変えて空をレイアウト変更.

画鋲が画鋲がお星さま.

「まだはやい」という名の電車に乗ると,
そこはいつでも電話の時間.
どこかの知らないお得意さまが
着信履歴を売る時間.

いまいくいまいくこんどいく.

ガラス越しの夜に
いろいろなことを思い出すたとえば.
烏帽子青年いわく,
僕の鼻粘膜を焼きましょうか
あなたさえよければ.
だめだめそんな,そんな勇敢.そんな愚行.
わたしの一存などで粘膜のことは
すべて自己責任でお願い.

また木月,あらわれる亭主.
入店したのは「もうおそい」という名の
しゃぶしゃぶ温野菜.

掬っても掬っても溶ける肉は
舌に乗らず出し汁ばかりすぐ注ぎ足される真冬.

posted by 地図書きのゆみ at 15:58| 東京 ☀| 作文集(ひまつぶしによむよみもの) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月19日

錯覚作家と「地上」の模型

rei.jpg

鎌倉で開催中の内藤礼の個展
「すべて動物は,
世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」
に行ってきた.

鎌倉近代美術館は,一階と二階とそして吹き抜けの中庭.
また建物自体は鶴岡八幡宮の敷地内にあり,源氏池の水上に
浮かぶような格好で佇んでいて優雅だ.


内藤礼の作品にはいつも驚きがある.


ビーズを連ねた糸を水に変えたり,

源氏池を瓶の中に瞬間移動させたり,

作品をお客さんに配って持ち帰らせたりする.

そしてすべての場所において,
あるようでないと思われたものが,そこにあったりする.

一見すると素朴なオブジェを陳列・展示しただけにも思える
空間は,実は緻密な計算と明確な意図をもって構成されており,
その空間の中に含まれている自分をも含めて
ひとつの作品として機能していることを体感できる
見事な仕掛けになっているのだ.

そういう点では
内藤礼の作品は,とっつきやすいと思う.
とっつきやすいというか,答えがちゃんとあるというか.
現代アートというと,
何がいいのかよくわからない抽象的なフォルムの物体が
置いてあって,タイトルを見ると「生命」とか書いてあって
分かったようなわからぬような,でも何となく「これがこの
作家にとっての生命の形なのね」みたいな風に自分を
納得させて行き過ぎている方にはぜひおすすめしたい作家の
ひとりだ.

現代美術といえば,
わたしはオノ・ヨーコの作品が昔から好きなのだけれど,
彼女がイマジネーションを材料に,
観客の頭の中に作品を作るという手法をたびたび
用いるのに対して,
内藤礼は,
彼女が,あるいは観客がイメージ上のものとして
頭の中しか描けないものを,肉眼で見ることができる形
に変換して提示してみせる(そのように錯覚させる)
という点において,
オノ作品と合わせ鏡のようでなかなか面白いと思う.

そしてまた,オノ作品が観る人の想像力を信頼しているのと
同様に,内藤作品は人間の感じて受容する力を
作品の仕組みを支える大きな軸に据えている.
そのことが,観客の感性という半ば漠然としたものを,
作品の一部として(あるいはまた作品の「結果」として),
動きのひとつに取り込んだダイナミックなインスレーションを
成立させているのだと思う.

内藤礼
「すべて動物は,
世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」
2010年1月24日まで
神奈川県立近代美術館 鎌倉にて.
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2009/naito/index.html
posted by 地図書きのゆみ at 12:03| 東京 ☀| 異世界曼荼羅(感想文) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月14日

葱のミルク化現象

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このところ薬膳料理にはまっていて、
毎日の料理にとにかくネギをよく使う。
なんだか知らないけど、
ネギは体を温めてくれるらしいのだ。

薬味にはもちろん、煮たり、炒めたり。

そのせいで冷蔵庫には常にネギが。

我が家は買い置きをしないほうなので、
あまり品揃えが多くないのがいつものホワイト・フリーザーだ。
しかし春夏秋冬、いつも牛乳だけは切らさないことになっている。
猫舌の私は必ず熱い飲み物を牛乳で割るし、
旦那はコーヒーをカフェオレにしないと
飲めないカフェオレ兄さんだからだ。

そんな牛乳と並んで、冷蔵庫の常連、いや
番人と化したネギ。

二者間のコラボはいまのところまだないが、
いずれ、あの二人しか残っていない、万事休す、
みたいな夜が来ることだろう。給料日前とか。
そのときには多いに活躍を期待したいと思う。

posted by 地図書きのゆみ at 23:58| 東京 ☀| 他生の縁(みのまわりのことなど) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月11日

木月と寛大トレーニング

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キヅキ氏と旦那とが夜町に二人会し
晩酌の座をもうけるというので、
労働ののち一人ふてくされ帰宅後のわたしは真実に孤独。
寒居にて紅鮭を一切れ蒸しては
湯気にばかり包まれていると着信。
いざいざ宴の熱にあたりに来てはどうか今からお前も、
という誘いなのである。

右目左目コンタクトレンズは既に泉の中で浸水し、
脱ぎ捨てたメリノウールと
ようよう人肌に温まりつつある
皺皺のパジャマの後ろ前は今日も不覚。
お気持ちだけでと配偶者ゆえの遠慮。
ゆえの期待。のちの承諾。
置き去りの紅鮭。

身支度のお手間はもはや前戯と
誰ぞのたまう急行列車にて。
降り立てば繁華街のうるさき様が
小耳をぞくぞくと引き立てるポン引きの隙間。
水流をのけるように捌くように縫い歩く
目的の店はいずこ。

ランプ灯りが命の憩いの酒場の名は「海」。
不案内な電話ごしの道案内にようやく辿り着けば
マヨネーズ塗られし眼鏡かける我が最愛の人。

美しきカーブに縁取られし薄型レンズに、
無数の指紋が力強く油でスタンプされている現在は
購入から三ヶ月。
バラエティかバラエティかと
まだ素面のわたしばかり苦悶。

しかし酔いは2割を5割にし、
暴挙を心意気に言い換える午前0時。

キヅキ氏は褒めてほぐして妻の心をさしあたり掌握。
わたしのファンだとまで持ち上げるので
まんまと我が城は陥落し、
傀儡政府が立つや立たずや
というところで夫の密やかな嘔吐。

不可侵の約束を暗黙に取り交わして解散は解散。
ワッツアップ深夜料金。
タクシーに乗ると口をつく御免下さい。

posted by 地図書きのゆみ at 19:54| 東京 ☁| 他生の縁(みのまわりのことなど) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月03日

お願い

asssssssssssss.jpg

お願いがあるのだとあなたは言って、
覚えていてほしいのだと彼女に生餃子を押し渡す。

彼女はまだ仕事中で、雪の散る商店街の黒く冷たい
墓石の道にその足が埋められているのです。
彼女の23センチの右足と23・5センチの左足は。

何を?覚えているべき?わたしは?とたずねる前に
彼女は生餃子の入ったプラスチックの容器を、
平べったい昆虫みたいな形のその透明な容器を、
ぐしゃりと濡れた地面に落として、あ
の形に口を開いて人形みたいに固まってしまう。
血が凍る彼女の指先にはポケットティッシュ、
あの素晴らしいあなたの伴侶、がビニルに包まれて
真四角く上品に抱かれている。
それはとくに彼女の大切なものではないのだけど、
ポケットティッシュは。けれど彼女は仕事として
それを配らなくてはならないのです。
見知らぬ人たちに。
だから、
彼女の仕事のすきまに生餃子を差し入れるなんて
非道はやめてあげてちょうだい。
そういうお願いをわたしがしたことを、
覚えていてほしいの。
あなたがいつも好きだという、生餃子をいまあげるから。
お願い。
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2008年11月28日

フローチャートA

ひまわり.jpg

それは、いなくなり方、とでも言うべきものなのだろうか。
人がある場所から強固な意志をもって自らの姿を消してしまう、
そのやり口について、何か呼び名をつけるとすれば。

仮に、それをそう呼ぶのだとして、そう呼ぶのだとすれば、
わたしはもうずいぶんと長いあいだ、
彼女の「いなくなり方」について考えをめぐらせている。
そういうことになる。

彼女をこの世界の外側へ、あるいは内側へと押し出した
ものは、いったい何だったのだろうか。
ということについて、わたしは隅から隅までくまなく検証しよう
と、試みている。

わたしがそれを考えるときに、必ず頭に浮かぶのは
台所に立つ彼女の後ろ姿と、鍋に湯を沸かしながらはるさめが
と言いかけて途中で止めてしまったぽかんとした唇のかたちだ。

そうだった。
と、わたしは思い出す。
最後の夜は中華サラダを作るのだと彼女は言っていた。
中華サラダを作るために、いろいろと準備が必要なのだと。

何事もない一日だった。
とくに変わったことも起こらない。
ニュースは流れ、雲は走り、電車に乗れば人間ばかりが目についた。
だからというわけではないが、その日はあまりものを考えなかった。
と、記憶している。
その日は?
その日も、だ。
その日も、わたしはあまりものを考えなかった。

仕事を片付けて、20時すぎに家に帰ると部屋が寒かった。
台所で夕食を作っている彼女にそう言うと、
買い物から帰ったばかりなのだという返事が返ってきた。
食事ができるのを待つことにして、わたしはテレビをつけた。
閉め忘れたカーテンの隙間から、真っ黒な夜が見えていた。

発光するテレビの向こう側に、作業する彼女の姿が見えた。
献立のことを何か言っているのが聞こえたが、
テレビの音に食われて、そのまま溶けてしまった。

わたしが何も応えなくても、彼女がこちら側にやってきて
もう一度自分の言葉を繰り返すようなことはなかった。
わたしが応えようと、応えまいと、彼女は一人で何かを
考え、口にし、作業を続けていた。
その様子は、まるでもう一台のテレビが、ここにはいない
彼女の姿を映してわたしに見せているように見えた。

目を移すと、テレビがわたしに話しかけてきた。
話題は中華サラダだ。
きゅうりとハムを千切りにしておきます。
春雨は水で戻さなくても、フライパンで煮てしまいましょう。
時間と手間がはぶけてとても楽ちんですよ。
鶏がらスープの素を小さじ一杯忘れずに入れてください。
水気がなくなるまで炒め煮にしたら胡麻油を回しかけて
手順1の食材をしっかりと混ぜ込みます。
ねえ、どうしようはるさめがと彼女が言います。
はるさめが、と言いかけて途中で必ずやめてください。
酢を大さじ2さとう大さじ1しょうゆ大さじ2調味料は
しっかりと味をつけるように多めに入れるのがポイントです。
仕上げに煎りゴマをまぶしたら、すっかり彼女はいなくなっています。

ガスの火はついたままだった。
すっかり彼女はいなくなっていた。




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2008年08月05日

そしてそしてそして、その模様

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あらゆることには原因が根を張り、
あらゆることの先々には結果の果実がぶらさがっているわけだが、
その間をつなぐ幹の部分、枝葉の部分というのを生きるのに
精一杯なので日常は、重たく揺れる熟した実を大地に向かって
引きつける見えない力のことなどまるで思いもせずに人は、
季節の終わりや移ろう様に心奪われ、
奪われる以上にまた何かを恵まれて人は、
やって来る別の季節を生き、生きてゆけるのだろうか。

たとえば輪廻というものがあるとして、
その輪をつなぐものは、そして、そして、そして。
そして人は死に、そして人は生まれ、そして人は生きる。
そしてという橋がかかり、ここはむこうに。いまはいつかに。
転がってゆく転がってゆく生と死とその間の形なきものたち。
回り続けることではじめて、意味をなすその美しき模様。
けれど、ひとつひとつの瞬間を切り取ればそれは、
ときに哀しく、ときに切なく、ときに幸福で、得がたい、
わたしには作られぬ何かであることには間違いない。

どこに根が伸び、どこに実をつけているのか
見当すらつかない長い長い永遠のような直線上のある一地点。
短く目印を刻みながらほんの少しだけその直線の一部を知って、
自分もやがて「そして」にたどり着く日がやってくる。

そしてそしてそして。

その先に、そしての先に続ける言葉を
そしてわたしは誰かに託すのだろう。






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2008年04月21日

浮き雲に、記憶地図を宿しつ

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夏太郎さんと出かけるといつも雨になりますが、
そう嫌な気持ちにならないのは何か理由があるのでしょうか。

表通りに出た途端、白い町景色に粒々と水滴たちがやってきて、
視界をすべり落ちては灰色の道を黒く染めていく。
たびたび起こるこの出来事に、私はすっかり慣れっこになっております。

ご本人はと言いますと、小雨も嵐も鬱陶しいというような口で
お洗濯の算段がつかぬことなどを時々お話されますけれども、
それでもその御心うちは案外この煩わしい空模様を楽しんでおられるようで、
それがこちらの気持ちを少なからず身軽にしてくださっているのではないか、
などと勝手に見当をつけては浮かぬ天気にも挫けずに過ごすことができている
そんな此の頃なのです。

夏太郎さんは奇遇なことに、私の生まれた町にお住まいということで
これも何かの御縁かと嬉しい気持ちでおりましたが、先日のことです。

駅前でお蕎麦など食べましてから、
思い出の跡地をぽつぽつ夏太郎さんと二人、訪ねて参りました。

私がほんの小さい時分に踊りのお稽古をしておりました教室や
小学校までの深緑の通い路。
一家で暮らしていた集合住宅から、夕闇越しによく眺めた線路近くの釣堀。
なくなって街並に溶けて消えてしまった保育園。

記憶の地図と照らし合わすようにして、
どんどんと夏太郎さんの手を引き、私は歩き回っておりました。

やがて歩いてゆくうちに、あんまりにもその町が小さく
あっという間に自分の思い出探しが終わってしまったことに
私は愕然としました。

世界の果てだと恐れていた地帯はあまりに身近で、
悲しいほどにつまらぬ景色に変わってしまっておりました。

いえいえ。

景色が変わったのか、私の心がつまらなくなったせいなのか、
それはどちらとも決めず曖昧なまま泳がせておきたい気が
今はいたします。

暮らしていた建物は跡形もなく滅び、何か別の場所になることが
決まっているとだけ、看板は指差しておりました。

その場所から程近いところに夏太郎さんの住まいはあり、
電車の行き交う音が心地よく響いては彼の部屋を揺らしているのです。

冷凍されていた時間が、
枕木の上でゆっくりとゆっくりと現在に溶け始めていくように感じます。

不思議なめぐり合わせを思いながら、
雨降る時刻と洗濯物の心配などをしつつ本日も外出をいたしましょうか。
夏太郎さんと、そんな相談をしております。










posted by 地図書きのゆみ at 03:22| 東京 ☁ | TrackBack(0) | 作文集(ひまつぶしによむよみもの) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月08日

前略・秘密のおかあさま

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まったくもって、わたしの母の話をすればきりがない。

一ヶ月ほど前のことだ。

ろくなものを食べず干からびがちな娘のために、
実家の母が食料品をつめた荷物を送ってよこしてくれた。
発送のその折に、私の携帯に母からのメールが入る。

「本日、荷物おくりました。
ひみつの品物が入っているよ!たのしみにね(・0・)」

すこしばかり、思わせぶりな内容である。
ううむ、「ひみつの品物」って一体なんだろう。
何かわたしが欲しがっていたものか、
どこか旅行にでも行った際の土産物か何かだろうか。
考えても見当がつかない。
とりあえず荷物の到着を待つことにする。

数日後、アパートに小包が届いた。
さっそく中を見てみる。
魚の缶詰、野菜、豆腐、菓子類、その他食料品がひしめく
箱の中身は食糧事情の芳しくない我が家の台所で
光を放つこと金塊のごとしである。
ああこれでしばらくは慢性的な栄養不足と手が切れることであろう
ははのあい、ははのあい、すばらしきかなははのあい。
ひととおり救援物資の検品をすませ、冷蔵室や食器棚の隙間に
それらを詰め込み、やれやれとくつろぐ。
と、何か忘れていることに気がついた。
そうだ!
「ひみつの品物」はどこだろう?
さきの金塊たちの中にそれらしい物は見当たらなかった。
ひょっとして、母が入れ忘れてしまったのか。
それともわたしが気づかないだけで、
何か我が家にまつわる思い出深い食べ物でも
入っていたのだろうか。
もしそうだとしたら、その食べ物がいったい何なのか
娘のわたしが忘れているという事態はけっこう気まずい。
母の愛に全然こたえられないダメな娘だ。

おそるおそる、母の携帯に荷物をありがとうとメールを送る。
すると、すぐに返信がきた。

「無事に届いたようでよかったよかった。
 ひみつの品物はわかったかな?ひみつの品物は、とうふでした!」

ひさしぶりに驚いた。

いったいどういうことなのか、
母の思考回路がさっぱりわからない。
確かに豆腐は入っていた。
しかし、なぜ豆腐が秘密にされなければならないのか?
いても立ってもいられなくなり、思わず実家の電話を鳴らす。

「ねえ、ちょっと。なんで豆腐が秘密の品物なの?」
「だって、ふつうは宅急便で豆腐なんか送らないでしょ。
宅急便屋さんもまさか荷物の中に豆腐が入ってるなんて思わないでしょ。」

秘密っていうのはそういうことじゃないだろう!
電話なんかするんじゃなかったと、
激しく後悔して携帯を折りたたむ。

いつもこうなのだ。
母を通じて、この世界には自分とはまったく異なる軸で動いている人間が
いることを思い知らされるのだ。
追い討ちをかけたのは、荷物に同封されていた父からの手紙である。
近況報告やわたしの健康を気遣う内容を読み進むうちに、
大変なことに気がついてしまった。
なんと、文章の途中から何の前触れもなく
筆跡がいきなり別人のものに変わっている。
母の字だ。

どうしてだ。
どうして何のことわりもなく、
一通の手紙を二人で合作で書いてしまうのだ。
母も母だが、父ももう少し頑張れなかったのか。
せめて、二人の文章の間を一行あけるとか、
末尾に誰が書いたか署名を入れるとか、
いくらでも出来たはずだ。
父の書いた「そういえば」の次から、
母の「最近困っている」話が始まっているのはいかがなものか。











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2008年04月07日

人類は無力、わたしはお湯を沸かす。

ufobookstore.jpg

沸騰するお湯の前で人は無力だ。

ヤカンを火にかけしばし待機のぼんやりタイムに
ふと悟ったのである、わたしは。

鍛え抜かれた屈強な肉体をもってしても、
研ぎ澄まされた明晰な頭脳をもってしても、
丸腰の人類諸氏が素手で熱湯とやりあうなど
もってのほかであるし、
戦のち敗北の結末は誰の目にも
しごく判然としている。

まして、
まして、
もくもくと真白き蒸気にその身をなかば変えながらガスの火あぶり。
不敵なステップで踊り続ける高熱の液体H2O(自称ダンサー24歳)を
柔肌の両の手の平で掬い取って茶葉やらブレンディやらで
味付け色付けあげくごくごくうましと飲み干すなんて魔人のごとき所作は
非力な霊長類ヒト科のわたくしにはなかなかに難しく、
やかんの注ぎ口からじょいやさじょいやさと祭りの若い衆の勢いで
手の平立体地図に刻まれた生命線感情線頭脳線その他いろいろ
運命に関わる溝を煮立った湯で埋めふさぐなんて狂気の沙汰だ。
大火傷するぞ、自然のなりゆきで。

だから、湯飲み茶碗なのだ。
あの神々の遺産よ。
コーヒーカップやラーメンどんぶりや五右衛門風呂も
湯を受けて担保する器という意味で平たく言えば
すべて湯飲み茶碗と称してもさしつかえあるまい。

湯飲み茶碗がわれわれ人類の不可能を可能にし、
熱湯との「いい勝負」を実現してくれている。

湯飲み茶碗なくしては、
千利休の登場もボストン茶会事件も昨今のカフェ・ブームも
お茶がらみのどんなムーブメントも
人類の歴史上に波風ひとつ立てずに無風のジパング、2008年。
今日まで時は蛇行しすずしい顔で流れうだっていたに違いない。
ホワイエ。

そんなわけで、すばらしき文明の利器を賛美しながら
沸騰を告げるヤカンのもとへと急ぐとある星の深夜1時。

その昔、酔っ払って足の指に熱い湯をそそぎ
べろべろに火傷してしまった痛ましい記憶を思い出す。

あのときの自分はまだ、神の使者・湯飲み茶碗と
出会っていなかったのではあるまいか。

夢のような発明品が立ち並ぶ炊事場で、
そんなどうでもいい思い出の辻褄あわせにひとり興じる。







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